「僕らの事件のファイルを届けるんですよね？Mulder捜査官に？」

僕は彼女を追って廊下に出ながら声をかけた。

「それなら、できれば僕も一緒に彼の意見を聞かせてください。僕らが半年近くかけて追ってきた事件です。
Mulder捜査官がどんな考えを持っているか、ぜひ知りたい。
ちょっと待っててください」

僕はそこまで一気にしゃべると、何か言いたげな彼女を廊下に残してカギをとりに部屋へと引き返した。
今回は彼女との時間を引き延ばそうという下心からではなく、Mulderという男への純粋な好奇心からだった。
『お手並み拝見』というような意地悪な気持ちもなくはなかったが、
FBIアカデミーをトップで卒業し天才プロファイラーと噂される男が、僕らの事件をどう分析するのか、
ぜひとも聞きたいというほうが強い。
エレベーターまでのほんの2メートルの距離を、彼女は必要以上にゆっくりと歩いているようにみえた。

「John、さっきも言ったような理由で彼は休暇中だから、仕事モードではないかもしれないわ」

2冊の事件ファイルを両手で抱えた彼女が言った。

「かまいません。それなら僕はすぐに失礼しますから」

僕にはここで引き下がる気持ちはまったくなかった。
個人的には、さっきの電話だけで彼女のムードをガラリと変えたMulderという男への興味もムクムクとふくらんでいた。

「そう、そういうことなら…。
彼は前の3件の事件ファイルを自宅に持ち帰ったようだし、新しい２件についても連絡してあるから
あなたを失望させるようなことにはならないと思うけど」

歯切れ悪く言った彼女が立ち止まって僕を見上げた。

「あなたたちの事件にMulderは興味を持つと思う。
でも、覚えておいてほしいの。
普段のMulderもややこしい人だけど、仕事モードに入った彼は、さらにややこしいのよ。
冷笑される場合が多いけど、ときに彼の独特のオーラのようなものに強い魅力を感じる人もいる。
でも彼に惑わされちゃダメ。自分をしっかり持つこと」

まるで呪い師にでも会いに行くようだと思いながらも彼女にうなずいて、僕らはエレベーターに乗った。

42と部屋番号が書かれたドアの前で立ち止まると、彼女は躊躇なくドアを3回ノックして部屋の主に声をかけた。

「Mulder？」

声のトーンが僕に話すときとは微妙に変化した。
返事のないドアに向かって彼女は続けて5回ノックすると、もう1度彼の名前を呼んだ。

「カギはかかってない」

部屋のなかからくぐもった男の声がした。
彼女がノブを回すとドアはスルリと内側に開いた。
彼女にうながされて僕が先に部屋へ入る。

間取りは僕の部屋と同じようだった。
ドアを入ってすぐの部屋はおそろしく殺風景で、人恋しそうなダイニングテーブルだけが異質に映った。
その左隣がキッチン、奥に1部屋、その隣にもう１つ部屋があるはずだ。
彼女は僕の部屋に入ったときのように、部屋をグルリと見回すようなことはしなかった。
そのかわりに慣れた足取りで奥に進むと、そこに部屋の主を見つけたらしい。

「Hey」

彼女が親しげに呼びかけた。

「留守電聞いたよ。Alexに行かれなくて悪かった」

『Alex』とはDanaを見かけたレストランの名前だった。
男の口から出た『Alex』という響きから、２人の行きつけの店なのだという気がした。

「電話したとき出かけていたの？」

「いや、シャワー・・・だったかな」

男の返事は気のないものだった。

「シャワーを浴びてさっぱりしたようには見えないけど・・・。
携帯にも何回か電話したわ」

「電源を切ったかもしれない」

曖昧な答えに彼女の大きなため息が聞こえた。
待っていても紹介してもらえそうにないので、僕はDanaにならって、遠慮がちに奥の部屋へ入った。

正面の窓にかかる半分ほど開いたブラインドから、レンガ造りの向かいのビルが見えた。
窓の手前に置かれたデスクの半分近くを、デスクトップのパソコンが占領し、
あとの半分には本や資料が所狭しと積み上げられている。
壁に飾られた何枚かの絵画に人物画はなく、ROYALのタイプライターの絵が印象的だ。
部屋の隅のラックには水槽が置かれ、そのやわらかい光がたよりなく部屋を照らしていた。
水槽の隣、この部屋の真ん中には、まるでここは自分の部屋だと主張しているかのように
大きな黒い皮のカウチが置かれていた。

腰に手を当てて黒いカウチの前に立っている彼女の正面に、男が座っているのがわかった。
彼女は、やっと僕を思い出したように振り返ると、再び男に向きなおって言った。

「Mulder、友人を紹介するわ。
アカデミーでの私の教え子で、今は凶悪犯罪課のJohn Powell捜査官。
彼はあなたと同じく、ここの住人。1つ下の階よ。
なんとここはFBI御用達のアパートだわ」

彼女は少し脇によけて僕を男に紹介した。
Mulderはたいして驚いたふうでもなく、ふんと鼻をならしただけで、それ以上の興味はしめさなかった。

「John、彼が私のパートナーのFox Mulder捜査官」

彼女の微笑が僕に向けられた。

「はじめまして」

この男がFox Mulder。
その名前は凶悪犯罪課ではあまりにも有名だ。
僕は黒いカウチに座って、気だるげに僕を見上げたMulderに手をさしだした。
ダークブルーのTシャツにジーンズ姿のMulderは、僕の腕の包帯を一瞥したが、
そのことにはふれず、ただうなずいて僕の手を握った。
興味がなさそうな態度とは裏腹に、彼の握手は力強いものだった。

カウチの前のローテーブルには、あきらかに僕らの事件と思われるファイルや何枚かの写真、
彼のものらしい手書きのメモなどが散乱していた。
彼は『さらにややこしい』とDanaが言っていた『仕事モード』に入っているらしい。
しかしどう見てもMulderは彼女が言うような呪い師のようには見えない。
そしてまた残念なことに、彼は以前に僕が想像していたようなチビのオタク捜査官にも見えなかった。

寝起きのようにクセのついたブラウンの髪をセットして、うっすら伸びた無精髭を剃れば、
この男は見違えるほどハンサムになるだろう。
細面の顔、形の良いブラウンの眉、影を作る長いまつ毛に縁取られた物憂げなヘイゼルの瞳、
うっすらと開いた唇からのぞく完璧な歯並び、
ダークブルーのTシャツの上からでもはっきりとわかる、ほどよい筋肉、ジーンズの裾からのぞく素足のくるぶし、
無防備な姿で僕の前に座っている今でさえ、彼はセクシーな男だと思った。
くだらないジェラシーが僕の胸の奥をチリチリと焼いた。

部屋の隅においてあった一人掛けの椅子を、Danaがテーブルのそばまで運んできて僕にすすめ、
彼女はまるで、自分の指定席だと言わんばかりにカウチのMulderの隣にストンと腰かけてしまった。
すすめられた椅子はカウチよりも少し高さがあり、それに座ると二人より少しだけ目線が高く、見下ろす形になる。
そのことが、２人とは違う世界にいるような、落ち着かない距離を感じさせて居心地が悪かった。

「食事はとったの？」

ローテーブルの惨状を見ながら彼女がMulderにたずねた。

「ああ」

僕にもわかる彼のウソに彼女はため息をついた。
さっきレストランでみた表情と同じものだった。

「少し痩せたんじゃない？」

「Scully、君とはおととい会ったばかりだろ」

Mulderが苦笑いで答えた。

「以前に比べてということよ」

そう言うと彼女は席を立ってキッチンに向かったため、僕とMulderは向かい合わせで取り残された。
キッチンに消えたDanaの背中から視線を戻し、気まずい思いでMulderを見ると、
彼のほうは飄々とした表情で僕を見つめていた。

キッチンでDanaが冷蔵庫を開け閉めする音が聞こえてくる。

「君はBrown捜査官のチーム？」

やはり気だるげな声で、カウチにもたれたままのMulderがたずねた。
どうしてこの男は初対面の相手にこんなに無防備な態度がとれるんだ？

「そうです。Brown捜査官は僕のボスで、僕らがこの事件を担当しています」

僕はテーブルの上に開かれたファイルを目でしめした。
僕につられてMulderの視線がファイルに落ちたとき、Danaの呼ぶ声に僕らの注意はキッチンへ向けられる。

「Mulder、冷蔵庫の食料がおとといから減ってないわ」

Mulderはそれには答えずに、やれやれというように僕に眉を上げてみせた。

「Scully、君が届けてくれたファイルを見せてもらうよ」

「それはサンドイッチのあとよ。すぐにできるから」

しかしMulderは彼女の答えを待たずに、カウチに置かれたファイルを読み始めた。
愛想がいいとは言えないが、僕が思っていたよりずっと穏やかで常識的のように見えたMulderという男は、
ファイルを読み始めると、その雰囲気を一変させた。
知的で優しげなヘイゼルの瞳は急に熱をおびて文字を追い、だるそうにカウチの背にもたせていた体は前傾姿勢をとった。
ほどなくDanaがサンドイッチと紅茶を運んできたが、ファイルに読みふけるMulderは気づきもしない様子だった。
彼女は彼に一言声をかけて、僕にもサンドイッチをすすめてくれた。
スモークチキンのサンドイッチは美味しそうだったが、僕にとってはDanaの手作りというほうが大事だった。

「Mulder、食べて」

僕がサンドイッチを一切れつまんで口に入れたとき、低いけれど有無を言わさぬ彼女の声がして
あやうく僕はサンドイッチを喉につまらせそうになった。
彼女を無視し続けたMulderも、さすがにファイルから目を上げてテーブルに並べられたサンドイッチと紅茶に気づき
あきらめたような笑みを僕に向けた。
僕はサンドイッチを食べながら、彼女がMulderの部屋のキッチンで、
『なんの不自由もなく短時間で料理を作る』ということの意味を考えていた。
彼女はどこにナイフが、どこに塩や胡椒や紅茶のティーバッグがあるのかを正確に知っていることになる。

僕はこれ以上、このことについて考えを進めることを意識的にやめることにした。

Danaが何度かMulderをうながしたが、結局彼は、サンドイッチ1切れを紅茶で流し込んだだけで食事を終えた。
そのため、彼女がMulderのために作ったサンドイッチは、あらかた僕が食べることになった。
プロファイリングに熱中すると他のことすべてに関心をなくすと彼女は独り言のようにつぶやいた。

「あなたは休暇中なんだから、食事をして睡眠をとって、しばらく仕事から離れてみるのもいいと思うけど」

「じゃあなんで君はこのファイルを僕に届けたんだい？」

彼は右手に持ったファイルをひらひらさせた。

「もちろん寝食を忘れて仕事をしろということではないわ。
よりよい精神状態を保つためには、あなたには適度な仕事が必要だと思っただけ。
そのおかげであなたは今、ファイルが読めるのよ。感謝してほしいわ」

彼女はサンドイッチの皿と、紅茶のカップをテーブルの隅に片づけながら言った。
3つとも色も形も違う不揃いなカップは、2人以上の来客はこの部屋には定員オーバーだと告げているように思えた。

「僕の正気を保つためってわけだ。
Skinnerに無理矢理とらされた休暇だが、こうして君が食事を作りに来てくれるのなら悪くない」

「Mulder、心にもないことなら言わないほうがいいわ。」

「・・・言葉にトゲがあるな」

狡猾な狐の下から傷ついた少年が顔をのぞかせたが、彼女は眉をピクリとも動かさずに言った。

「真実の言葉はときに心に痛いものよ、Mulder」

まるで僕は透明人間にでもなった気分だった。
どうやら彼らには目の前に座っている僕が見えないらしい。
それにしても彼らの会話が放つ独特の空気はなんだろう。
ジョークでもなく、本音でもない。
一定以上にはお互いに踏み込まない距離感、さぐり合うような緊張感、
絡んではほぐれ、ほぐれてはまた絡みあう彼らの視線。
それでいて心からリラックスしているように見える表情。

底に流れるものは信頼？それとも愛情…なのか？

彼らだけにしかわからない言葉で会話しているような気がした。
彼らはサンドイッチの話をしながらも、じつはまったく別のことについて話しているようなのだ。
相手が語る言葉より、その言葉を包む空気ごと受け入れて理解しているようだった。
僕がぼんやりとそんなことを考えているうちに、Mulderは当たり前のように皿をキッチンに運び、
まもなくシンクで水を流す音が聞こえ始めた。
Danaは気遣うような表情でキッチンに向けていた視線を僕に戻した。

「お母様が急逝されたうえに、ずっと捜していた行方不明の妹さんの消息についての絶望的な証言がとれたばかりで、
彼、だいぶまいってたの。それでさっき彼が言ったように副長官から休暇をとるように言われたんだけど、
彼には休暇より仕事のほうが効くようだわ」

彼女の声は囁くように低かった。
僕はその声を聞きながら、5年間の彼女への片思いは、彼女との再会の日に終わるのかもしれないなどと
ぼんやりと考えていた。




　　　　　　　　　　　　　　　　 ｘｘｘ　to be continued xxx

Alexandriaにあるレストランの名前が『Alex』ってねーーー！
書いた本人があまりのやる気のないネーミングに大笑いですわー(T▽T)
なんかとりとめのないお話になってきましたが、あとちょっとお付き合い下さい。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　yuria