Dec.17th Fri. 6:50 p.m. 

１２月のD.C.の街に冷たい雨が降っていた。
葉を落とした街路樹は、まるで骸骨が暗く濁った空へと救いを求めてひしめき合い、
絶望的に上へ上へと手を伸ばしているかのように見えた。
緩いカーブにさしかかると渋滞の兆しが見え始め、車のスピードが下がった。
車中には、メトロノームのように規則正しく動くワイパーの低い音と聞きなれたエンジン音、
そして雨に濡れたアスファルトをタイヤが滑る静かな音のみが響いていた。
Fox Mulderは無言でハンドルを握りながら、すんなりと伸びた長い指先を彷徨わせ、
ヒーターの温度を少し上げた。
Dana Scullyは小刻みな車の振動に身を任せ、雨ににじむ窓外の景色を見るともなしに見ていた。

Scullyの車がエンジントラブルで修理中のため、今日はMulderが彼女を送っていた。
黙っていても気づまりにならないほどに心を許しあった２人だった。仕事で疲れ果てて
話す気力もないときなど、一言も言葉を交わさずに長い時間車に乗っていることも度々あった。
しかし今の車内は重苦しい沈黙に包まれていた。
というのも彼らは先ほどまで地下のオフィスで、犯人逮捕後にスキナー副長官に提出する報告書について、
ひとしきり論争をした後で、その重苦しい雰囲気を車中にまで引きずっていたのだ。
沈黙を破ったのはMulderだった。

「異常者はたいがい２つの顔を持っている。
　彼もそうだ。１つは評判のいい内科医の顔。もう１つは家の地下室に拷問器具を揃え
　その手の数え切れないほどのビデオコレクションを保有する冷酷な連続殺人犯の顔」

車線変更のためのウィンカーの音がやけに大きく車内に響いた。
Mulderはチラリとバックミラーを確認すると、スムーズに車を右車線に滑らせた。
後続車を確かめるために一瞬振り向いた彼の顔からはなんの表情も読みとれなかったが、
彼の無言のうちの流れるような仕草に、何故かScullyは毎日顔をつき合わせて
何もかもを知り尽くしているような相棒に『男』を意識している自分に戸惑っていた。
彼を『異性』として見ることに彼女は慣れていなかった。
そしてまた、彼に『異性』を感じる日々は、もうずっと前に通り過ぎたはずだった。
彼の背の高さ、ときおり彼女の背中に触れる大きくて繊細な手、それに続く優雅な指、低い声、
広い背中に流れる筋肉の動き、何気なく腕を広げた時にできる彼の厚い胸の無防備で魅力的な空間、
それらに心が揺らぐ日々は過去のものとなったはずだった。
心の奥に滲み出したそんな感情を無理やりしまい込むと、Scullyは視線を窓外の暗く冷たいD.C.の街に戻し
いつもと変わらぬ仕事モードの声を作った。

「彼は病気よ、Mulder。精神鑑定を受けることになるでしょう」

「彼の内部には別の何かがいたんだ。それが彼を操っていた」

犯人逮捕にこぎつけたばかりの事件のことで頭がフル回転しているMulderは、
いつものようにScullyの心の奥を知ろうともせず、憎らしいほどに落ち着いた声で話した。

「多重人格ってこと？」

「そうじゃない、君だって見たはずだ。僕が彼を撃ったときに彼の体から影のようなものが湧き上がり
　そして空中で消滅した。あれは人の形に見えた」

「Mulder、私が見たのはあなたが逃げる男の肩を狙って発砲したことだけだわ」
　
「でも見ただろう？そのときに彼の体から影がゆっくりと立ちのぼるのを」

「あの時はもうあたりは薄暗かったし、風に揺れた木の枝の影が映ったのかもしれないわ。
　心霊写真の多くは光りと影のトリックよ。Mulder、あなたが見たものもそのたぐいだわ」

「Scully、どうして自分が見たものを認めようとしないんだ！もう何年この仕事をしている？
　そろそろその頑固な頭を柔らかく作り直してみたらどうだい？」

X−Fileオフィスの論争は、空間を変えただけで、そのまま狭苦しい車内に引き継がれた。

「Mulder、あなたがどんなに大声を張り上げて主張してみても、確かな証拠がなければ
　誰も信じてはくれないわ。私に認めろと言うのなら私が認められるような証拠を見せてちょうだい」

「Scully、君は認めたくないんだよ。科学で証明できないものを認めてしまったら
　人から僕と同じような目で見られる。君はそれが怖いんだ。
　科学の人Dana Scullyの評判はがた落ちだからね。
　だから自分で見たものすべてに筋の通る説明をつけたがる。
　この世の中には君にだって説明できないものがたくさんあるんだ。
　君は科学に固執しすぎて多くの可能性に目を瞑ってしまっている」

Mulderは真っ直ぐ前を見つめながら右手をハンドルに叩きつけた。
言い過ぎたことはわかっていた。しかしScullyのローズピンクの唇は、ほの暗い車内でやけに艶めかしく、
そのことが何故かMulderを苛つかせていた。
彼女の赤い髪の細い束が、わずかに開いた唇にまつわり、白い肌とのコントラストの眩しさに
Mulderは思わず目をそらし、ゴクリと唾を飲み込むと喉仏が上下した。

「人の目を気にするのなら、あなたと組んだりはしないわ」

頬にかかった髪を耳にかけながら答えたScullyの声は静かだった。
しかしそこには確かに傷ついた響きをも含んでいた。
気を取り直したようにScullyが続ける。

「それでは科学的な証拠なしにどうやって事件を解決するつもり？
　科学では証明できないというあなたご自慢の説がFBIの上層部に通用するとでも思うの？
　いくらあなたがグレーのスーツを着てみても、裁判では勝てないわ。
　あなただってわかっているでしょうMulder、XーFileを守りたいのなら科学的証拠が必要なのよ」

「それなら君は・・・」

Mulderはそこまで言いかけてふいに言葉を止めた。
車の中に一瞬静寂が戻り、時間が止まったように感じた。

「Mulder？」

薄暗い車内でScullyが隣のMulderを見つめると、彼の視線はフロントガラスを通り越して
一点に注がれていた。
その視線の先にあるもの、それはD.C.の大きなクリスマスツリー。
雨の中でライトアップされたそれは、車以外に人気のない夜のD.C.の街に不釣合いなほどに華やいで
それがよけいに物悲しさを感じさせた。

「君と２人でD.C.のクリスマスツリーを見るのは何度目かな」

さきほどとはうって変わった柔らかなトーンでMulderが尋ねた。
彼は仕事上でどんなに激しい論争になっても、いつも冷静な部分を残していた。
スイッチ一つで瞬時に仕事モードからプライベートへと切り替えられる。
コンビを組んでまもない頃はScullyも戸惑ったものだが、最近は彼に合わせる術を身に付けていた。
そして２人の仕事柄その術は精神の均衡を保つうえで、とても重要なことだということにも気づいていた。
冷静な部分を残すことで相反する意見を客観的に吟味することもできる。
彼の言うところの『可能性に目を瞑る』ことはなくなるのだ。
それはお互いへの深い信頼と尊敬の上に成り立っている大人の関係だった。

「今年で６度目よ」

Scullyも、少し前の会話などなかったかのような穏やかな声でMulderに答えた。

「ん」

Mulderが何か言いたげに喉の奥で低く呟いた。

「何？」

「来年も君とあのクリスマスツリーを見られるかなと思って」

「見られないと思う理由があるの？」

「来年のことはおろか、明日のことだってわからないんだ。
　君は狭苦しい地下のオフィスでSpookyな相棒の相手をするのがほとほと嫌になり、
　移動願いを出すかもしれない。
　そして風通しのよい明るいオフィスでまともな相棒とまともな仕事をするようになるかもしれないんだ。
　それとも君は明日運命の人と出会って、１ヵ月後には彼とゴールインするかもしれない。
　そうしたら君はXFなんてどうでもよくなるのさ。明日のことは誰にもわからない。
　そう思わないか？Scully」

Mulderが淋しそうに微笑むと、彼の素晴らしく歯並びのよい白い歯がチラリとのぞいた。
Scullyは、そんな彼の口もとを斜め下から見上げるのが好きだった。

「Mulder・・・明日のことは誰にもわからない。
　確かにそうかもしれない。なら今晩のことならどう？」

Scullyは小さく曖昧な笑顔を作ると、
彼女が何かたくらんでいる時に見せるキラキラとした瞳をMulderへと向けた。

「なんの話？」

Mulderはニヤリと笑うと受けてたつように姿勢を正して前を向き、ハンドルを握りなおした。

「そろそろ部屋にクリスマスツリーを飾ろうと思ってたの。家へきて手伝わない？
　高いところに手が届かないの」

Mulderは面白そうにScullyを見つめた。

「これから？」

「そうよ。明日のことはわからないから」

Scullyの蒼い瞳がまた少し輝きを増した。

「う・・・ん」

Mulderはフロントガラスの向こうの道に視線を戻すと、
対向車のヘッドライトに照らされて深い陰影のできた横顔で微笑みながら、煮え切らない返事を返した。
前の車のブレーキランプの赤が雨に滲んで見える。

「テイクアウトじゃない夕食をつけるわ。それでどう？」

薄暗い車内にしばらく沈黙が流れた。
雨で滲んだ水彩画のように、あっという間にぼやけていくフロントガラスを
ワイパーが几帳面な動きで現実に引き戻す。
フロントガラスに落ちる雨の雫は、花や雲、風や蛇のような複雑な模様を作り、その影がMulderの
濃紺のスーツや白いYシャツに、まるで生き物のように流れ落ちた。

これは彼にとって悪い取引ではない。しかし２つ返事で、待ってましたとばかりに飛びつくのも
彼の信条に反する。
何か他に条件を追加しなくては・・・。

「テイクアウトじゃない夕食に・・・ビールつきだ」

Mulderは考えた末につけた条件のあまりのマヌケさに自分でバカらしくなり、目を細めた。

「ＯＫ、それで手を打つわ。でもビールの買い置きはないから途中で店に寄ってね。
　Mulder、あなたの部屋には今年もクリスマスの飾りはないの？サンタが来ないわよ」

「独身男が一人でツリーを飾っている図なんてゾっとしないからね。
　それにサンタはもうずっと昔から来ないのさ」

「Mulder、私の飾りをいくつか持っていくといいわ」

「君のを？」

Mulderは複雑な笑顔を見せて、断る理由をさがしているかのように何度か小さく首を横に振りながら
口を開きかけたが、Scullyはそれを遮った。

「真っ白なトナカイの人形と赤と白の大きな靴下はどう？。
　これくらいなら独身男のプライドも傷つかないんじゃない？水槽のラックの上に飾れるわ。
　これで今年はサンタが来るかも。・・・それに、きっと部屋が明るくなる」

そしてMulder、あなたの心も・・・とScullyは心の中で続けた。
クリスマスを毎年家族で過ごすScullyとは違い、一人部屋で過ごすMulderに少しでも
暖かいクリスマスの雰囲気を味わってほしかった。
Mulderはわずかに探るような瞳をScullyに向けたが、持ち前のカンのよさで彼女の心を読んだのか、
それとも本気で彼女の案が気に入ったのか、まんざらでもない様子で小さく肩をすくめ
ハンドルの上に乗せた指でリズムをとっていた。

「サンタは寝ている良い子のところに来るんだろ？
　僕はイヴの夜は起きていてクリスマスキャロルを見るから、きっとサンタは僕の部屋を素通りする」

「Mulder、あなたがクリスマスキャロルを？
　強欲なスクルージが３人のゴーストによって心を入れかえるっていう、
　あのクリスマスキャロルを見るの？」

Scullyが呆れ顔を隠そうともせずに彼をまじまじと見つめた。

「イヴの朝方に見るものを探してチャンネルを変えると、なぜか毎年必ずやってるのさ。
　スクルージが出会ったようなゴーストに会えれば、僕も少しは変れるのかもしれないよ。
　・・・Scully、君はゴーストを信じるかい？」

「いいえ」

やっかいに巻き込まれたくないとでも言うように即座に否定したScullyに
Mulderは苦笑いを浮かべて小さくうなずいた。

「いつだって自信たっぷりのあなたが自分を変えたいと思っていたなんて信じられないけど、
　自分のどこを変えたいわけ？」

「それを今考えてる」

「Mulder、また何か隠してるわね」

「まさか！」

Mulderは大げさに眉を上げて１オクターブ高い声を出した。

「Mulder？」

Scullyは警告の響きを込めて彼の名をくり返したが、彼の表情からは今それを彼女に明かすつもりは
ないことが読み取れた。

「Scully、君の部屋にヤドリギは飾る？」

唐突にMulderが尋ねた。

「ええ、飾るわ。なぜ？」

満足げに大きく微笑んだMulderがラジオをつけたために、彼の答えは音楽と混ざり合ってしまった。

♪Have yourself a merry little Christmas!
　Let your heart be light.
　From now on, our troubles will be out of sight.♪

Bing Crosbyのミドルテンポの歌が流れ、車の中に一気にクリスマスムードが漂った。
帰宅時間に雨が重なって、車の流れはノロノロとしていた。
対向車線に並ぶ車のライトがMulderには何連にもつらなる白く輝く真珠のネックレスに見えた。
色白のScullyがつけたら、きっと美しいだろうと思いながら、胸元が大きく開いたドレスに
真珠のネックレスをつけたScullyを想像して、彼は口もとがだらしなく緩むのを感じ、
いつものポーカーフェイスを保つのに苦労した。

ついさきほどまでピリピリと張りつめていた車内の空気は、不思議なほどに柔らかく変化していて、
Mulderは来年もきっとScullyと共にクリスマスを迎えることができるだろうと、
なんの根拠もなしにぼんやりと考えていた。
Scullyが曇った窓を手で拭くと、大きなクリスマスツリーがゆっくりと遠ざかっていくのが見えた。
しかしそれは先ほどの物悲しい印象とは異なり、光り輝くイルミネーションは暖かくD.C.の街を照らし、
静かに人々を見守っているかのようだった。
葉を落として死んだように見えた街路樹は、よく見ると小さくかたい蕾をいくつもつけて
長く厳しい冬を乗り越える勇気と希望が感じられた。
降り続く雨にチラチラと雪が混ざりはじめ、深々と冷えてくる気温から
ほどなく雨は雪に変わるだろうと思われた。


「僕が飾ればホワイトハウスのツリーより数段趣味のいいものになる」

「それは大統領に対する侮辱だわ。でも、あれより趣味の悪いツリーにしたら、撃ち殺すわよ」

Bing Crosbyの歌がゆったりと流れる車内に、MulderとScullyの低く柔らかい笑い声が重なった。
音もなく雨が雪に変わっていくように、変化が訪れ、それを受け入れる淡い予感を感じはじめた２人だった。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　-　end　-

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました<(_ _)>
一応作者としましてはクリスマスFicのつもりで書きました（苦笑）
この１週間後に２人は本編の幽霊屋敷探検にでかけることになります。
そしてそこで彼らは２人のゴーストに出会い、スクルージのように自分を振り返り、
ちょっぴり反省もするわけです。
幽霊屋敷から帰ってきたモルダーは、結局今年も明け方にクリスマスキャロルを見ることになり、
そしてそのシーンでモルの部屋に白いトナカイの置物と赤と白の縞々の靴下が
飾られているのを見ることができます。
その飾りをモルが一人で用意したのだとしたら・・・
孤独なクリスマスを少しでも暖かいものにしようとした彼の気持ちを考えると
胸が締めつけられるようですが、もしもそれがScullyからのプレゼントだったとしたら？
きっとモルは、その飾りを見るたびにScullyを思い出し暖かい気持ちに、
そして笑顔になれたはず・・・と考えました。

クリスマスのヤドリギ飾りの下にいる乙女にはキスしてもよいという習慣があるようです。
サンドラ・ブロック主演の映画『あなたが寝てる間に』でも、そんなシーンを見ました。
「kissing under the mistletoe」（ヤドリギの下のキス）だったらモルにも許されるだろうか？
と思いながら書き始めたこのFicですが、とうとうそこまで辿り着けず・・・。
この先は、みなさまのご想像におまかせします。

最後になりましたが、この作品を書くにあたって「クリスマス・イヴの過ごし方」のラストでの
モルの部屋のクリスマス飾りを教えてくださったSashaさんに感謝をこめて！


　++　2003年が明るい希望にあふれる年になりますように・・・++　


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2002　Dec.　　yuria