「Scully、君へのうんと早いか、うんと遅い誕生日プレゼントだ」

Mulderは、はにかんだような笑顔を見せて、Scullyの手の上にちょうど収まる大きさの
四角い箱をおいた。

そんな彼の笑顔を見ると、彼女は再び唇を求めて彼の顔を引き寄せたくなる衝動を
なんとか理性で押さえなければならなかった。

『どうしちゃったの、Dana Scully！しっかりしなさい！
　彼が原因不明の脳障害によって得た、人の心を読める力を失っていて良かった。
　もしも今私の心を読まれたら、私の頭の中は彼のしっとりとした唇や、
　それを舐める彼の悪戯な舌のことでいっぱいだってことがわかってしまう。
　それにしても、彼はなんてスーツの似合う男なんだろう．．．』

普段なら相手のほんの些細な感情の乱れも、けして見逃すことはないFBIきっての
プロファイラーであるFox Mulderは、こと自分のこととなるとまるで素人、いや素人以下に
なってしまうことをScullyは知っていた。
そして今日はそれを神に感謝した。

彼女の中で本能と理性がデッドヒートを繰り広げながらも、
なんとか視線を彼の笑顔からその箱に戻すには、彼女の持つ意志の力を総動員しなければならなかった。
その箱は黒字に細い金のストライプが入った包装紙に包まれていて、上品な細い金のリボンが
かけられていた。
ScullyはMulderからの突然のプレゼントに心を奪われながらも、頭の片隅で、
どうして彼はこんなにもセクシーで、魅力的に微笑むんだろうと、少し恨めしくも思った。

「Mulder、うんと早いか、うんと遅い誕生日プレゼント。
　あなたからそのプレゼントをもらうのは２度目だわ。
　今度のは、ちゃんとリボンがかかってるけど．．．。
あけてもいい？」

「もちろん、あけてみて」

ワクワクした気分でMulderを見上げるScullyに負けないくらい期待にあふれた瞳で
MulderはScullyを見おろしていた。
ScullyはMulderの手を取ると、待ちきれないように小走りにソファに近づき、
そこにストンと腰を下ろして、彼にも隣へ座るように促がした。
MulderはScullyの顔から目を離さずに、すばやくスーツの上着を脱いでソファの背にかけ、
右手でネクタイを緩めた。
彼女は少女のようにキラキラとした蒼い瞳で彼を見上げると、丁寧にリボンを外し、
破れないように気をつけながらカサカサという期待が膨らむ音と共に包装紙を開いた。
包装紙の下からは、しっかりとした作りのグレーの箱が姿をみせた。
その箱をゆっくりと開くと、Scullyの瞳に光沢のある白い生地の上に置かれた
美しい時計がとびこんできた。

シルバーとゴールドがミックスされた金属のベルトは、
すっきりとしているがどこか女らしい雰囲気を漂わせている。
丸い文字盤は、あくまでもシンプルで見やすく、機能的で、
文字盤の右の小窓には日付が表示されている。
正確に力強く動く秒針。スラリと鋭角に先の尖った優雅な長針と短針。
そして中央にはOMEGAの文字がゴールドで刻まれていた。
角度を変えると、それらがキラキラと美しく光り輝く。
そして何より彼女の心を捉えたのは、デザインは違うもののその時計の雰囲気が
Mulderの時計とペアのように似ていたからだった。
華美でなく機能重視であるのに無骨でもなく、洗練されていてスマート。
いかにもMulderらしい、と彼女は思った。

Scullyはその時計のあまりの美しさに目を見はり、しばらく無言で見入っていた。
ほんのりと唇をひらいて時計を見つめる彼女の表情のあまりのあどけなさに、
Mulderは彼女から目を離すことができなかった。
いつも冷静な彼女が時おり見せる少女のような表情や、炎のように激しい感情は、
いつでも彼の瞳を釘付けにした。

「君が今まで使っていた時計を大事に思っていることは知っている。
　そしてその理由も、僕はわかっているつもりだ。
　でもこれからは君は一人じゃない。僕がいる。
　これからは２人で、今度はこの時計と一緒に、新しい時を刻んでいこう」

「ああMulder、なんて言えばいいの．．．」

「僕が聞きたいことを言ってみて」

「．．．Fox, I love you.」

「Dana、その言葉が一番聞きたかった」

Mulderは美しい笑顔を見せると、Scullyの小さな体をすっぽりと、その大きな胸の中へと包み込んだ。
そしてゆっくりと優雅な動きで彼女に顔を近づけて、静かに長く、深いキスを交わした。
Scullyは彼にくるまって、彼の腕の中こそが彼女のいるべき場所だと確信した。
懐かしい彼の香りは心の底から彼女を癒し、雲の上にいるようなフワフワとした気分にした。

「Mulder、私が今まであなたを愛していることを認めたくなかったのは、怖かったから。
　愛していることを認めてしまって、無防備にさらけだされた心が酷く傷つくことが怖かったの。
　でも今はわかる。あなたの腕の中は核シェルターよりも安全だわ」

Mulderの顔に誇らしげな微笑が広がったのを見ると、Scullyは再びキスを求め、
そして夢のようなキスを交わしている間も彼女は、その美しい時計をしっかりと胸に抱いていた。

ScullyはMulderと愛を確かめあって以来、自分の気持ちを素直に言葉にすることが
これほど心を穏やかに落ち着かせてくれるものなのだということを、改めて知ることができた。
今まで２人とも、難しいことを考えすぎて、こんなにもシンプルでやさしいことに気づかないでいた。
彼に対する気持ちを解き放った今、どうして以前はこの強い気持ちを抑えることができたのか
不思議なほどだった。
Mulderの部屋で愛を確かめ合ったあの日、２人はとても価値のある第一歩を踏み出したのだった。
あのとき心を閉ざすScullyに対して、辛抱強く熱心に、ときに優しく、ときに激しく
語りかけてくれたMulderに、彼女に対する深い愛情と大きな心、そして溢れる情熱を感じたのだった。

Mulderは言っていた。２人にとって、今に至るまでの長い時間も無駄ではなかったと。
回り道とも思えるような時間があったからこそ、大切なものに気づき、愛している人に愛していると
素直に言葉にすることが、どれほど自分達を幸せにしてくれるかをわからせてくれたのだと。

Mulderの弾力のある唇が離れていくのを感じて、Scullyは薄く瞳を開いた。
Scullyの開いた瞳の前に、彼女を見つめるMulderの瞳があった。
Scullyは彼の瞳の色を読もうとした。
目の前の彼女を見ているようで、じつは遠い何かを見つめている、どこか懐かしんでいるような
どこか淋しげな、そんな彼の瞳の色を以前にも彼女は何度も見ていた。

「Scully、できることなら時を戻して、出会った頃の君に、
　なんの苦しみも恐れも知らない頃の君に帰したい。
　君の瞳から哀しみや痛み、恐れ、そして孤独の影を取り去ってあげたい。
　こんな僕のそばにいたために巻き込まれた、おぞましい事件から遠くはなれた、　
　平和で希望に満ちあふれた、普通の平凡な女性としての幸せな日々を君に贈りたい。
　あの頃の君を取り戻せるのなら、僕は何も惜しむものはないよ。この命でさえ。　
　僕にもっと力があれば．．．。」

「Shhhh．．．。黙ってMulder。
　たとえあなたが特別な力を持っていて、私をそんなふうに変えてくれたとしても、
　たとえ幸せで平和な世界へと連れ戻してくれたとしても、そこにあなたがいなければ
　そここそが私の一番恐れている世界になってしまう。
　あなたなしでは、どこにも私の幸せや、やすらぎはないのよ。
　あなたは、私の世界そのものなの。
　そしてそれを選んだのは他でもない、私自身なのだから。
　Mulder、それを忘れないで」

Mulderはゆっくりと瞳を閉じて、静かに首を左右に振った。
その表情からは、なんの感情も読み取れなかった。

「僕は真実を追い続けることをやめられないし、
　これからもX-FILESは僕の人生の中心となっていくだろう。
　僕は君に暖かい幸せや、ぬくもりをあげられない」

一呼吸おいてMulderが続けた。

「ねじれたコインを覚えてる？
　なぜか僕の部屋に忽然とベッドルームが、しかも鏡つきのウォーターベッドが姿を現した事件さ。
　あの時車の中で君が言ったことを、僕は時々思い返してみる。
　『小さな車に乗って都会や町を走り抜ける。
　そこでは人々が家庭をもち、子供を育て、犬を飼い．．．。
　つまり日々の生活を送っている。
　なのに僕達はただ通り過ぎるだけ．．．。』
　君は聞いただろ？まだ続けるつもりかと。
　車から降りて普通の生活を始めてみたいとは思わないかと。
　僕はあのとき、君に返す言葉が見つからなくて『これが普通の生活なんだ』と答えてしまったけど、
　もちろんそんなはずはない。こんな生活が普通なわけないさ。
　でも僕は今、車を降りるわけにはいかない。
　でももし．．．もし君が普通の生活を望むのならば、僕は君を止める権利はないよ。
　君は自由だ」

Mulderの人並みはずれた記憶力に、仕事のときには命を救われたことが何度もあるScullyだったが、
私生活では呪いたくなることも多かった。今このときのように。

「Mulder、あのときと今とではまったく違うわ。
　あのときは人間らしい気持ちを．．．つまりあなたへの想いを、心の奥に押し込めてたもの。
　そんな気持ちを忘れるために、ただただ仕事に没頭してた。
　でも夢中で仕事をすればするほど、心の中には埋められない穴がポッカリと開いていった。
　自分の気持ちをもてあましながら、もっと違う人生があるんじゃないかって思っていたの。
　でもMulder、今は違うわ。
　私はあなたを愛することができて良かった。この気持ちを素直に認めることができて良かった。
　．．．Mulder、なんて言えばわかってもらえるかしら。
　私はあなたに出会えて、どんなに嬉しいかわからない。
　あなたに出会えたことは、この世に生まれてきたことと同じくらいに神に感謝しているの。
　私の人生はあなたに出会わなければ、どんなに不幸なものだったか。
　そして私が選んだ道は、正しいわ。
　そこには少しの迷いもないし、後悔もない。
　たとえ生れ変って最初から人生をやり直せるとしても、私はあなたとの旅を選ぶわ。
X−FILESはあなただけのものじゃない。今は私たちのものよ」

Scullyは辛抱強くそこまで話すと、愛しそうにMulderの頬を彼女の白い右手で包み、
親指で彼のふっくらとした唇を優しくなぞって、クスクス笑いをもらした。

「だいいちあなたとパートナーを組める人は、世界中を探しても私以外にはいないと思うわ」

Mulderは閉じた瞳を開いた。
その瞳は彼女のセーターの色を映して、美しいグリーンに変化していた。
Scullyは、いままで彼が抱え続けてきた彼女に対しての後悔や責任、
そして今まで彼女の身に起きた悪いことはすべて自分が原因だという
彼の勝手な思い込みにピリオドをうちたかった。
そして今、その最初の１歩が成功したことを悟った。
彼の美しいグリーンの瞳は潤み、感動に満ちていた。

「僕の人生で君と出会えたことは、この世に生まれてきたこと以上に感謝するべきことだけど、
　いったい僕は何に感謝するべきかな」

「そうね、あなた自身に感謝すれば？
　あなたは自分を過小評価してる。自分の価値を知らなさすぎるわ」

Mulderの顔に笑顔が戻り、口もとから白い歯がチラリとのぞいた。

「僕は父や母にさえ、ストレートに愛情を表現されたことはなかった。
　ありのままの自分を受け入れてもらったこともなかった。
　それはすべて僕のせいで、僕が悪いからなんだと子供の頃から思い込んでいた。
　．．．驚きだ。こんな僕をまるごと受け入れてくれる人がいる。
　でも僕は、こういう状況に慣れていなくてどうしたらいいのかわからない。
　情けないな．．．。」

「Mulder、こうすればいいのよ」

ScullyはMulderの顔を優しく引きよせて、唇を重ねた。
反射的にMulderは、大きな力強い手を彼女の赤い髪の中に滑り込ませ、
艶やかで弾力のある彼女の髪の感触を確かめるように、その手は彼女のぬくもりの中をまさぐった。
彼の手は、しばらく彼女の髪を乱し続け、それからゆっくりと細い首筋をなぞって背中へと下り、
２〜３度そこで円を描くと華奢な肩のラインをたどり、そのままふくよかな胸へと下りると、
繊細で器用な５本の長い指は、柔らかなそれをとらえた。
その瞬間、Scullyは体をピクリと震わせ、小さく溜息をもらした。
その間もMulderの指は動き続け、もう一つの柔らかで形の良いふくらみへと移動しようと
したときに、彼女が胸に抱えたままの時計の箱に触れた。
彼はそっとScullyから体を離すと、箱を持っている彼女の小さな手を、
すっぽりと彼の大きな手で包んだ。

「初めて逢った時の君は、無邪気でまっすぐな瞳が印象的だった。
　好奇心と探究心に満ち溢れた、聡明で美しい蒼い瞳は、僕が知っている誰よりも勇敢で、
　頑固なほどに科学を信じ、不可能と思える状況の中でも必ず期待に応えるべく証拠を見つけ出した。
　君は僕を何度も救ってくれた。
　君は、けしてあきらめない」

Mulderは、いつもより少しだけ高いトーンで、静かに、甘く囁いた。

「けして諦めないこと。それを教えてくれたのはあなたよ。
　あなたは、たくさんの大切なこと、そして忘れかけていた勇気を、気づかせてくれたわ。
　あなたに出会えて本当に良かった。私は心からそう思うの。
　でもね、７年前地下のオフィスであなたと出会えなくても、私たちはきっとめぐり逢えた。
　お互いに運命の糸をたぐりよせて、何度も何度もめぐり逢えたはずなの」

２人はお互いに見つめあったまま、静かに微笑みを交わした。
そして彼はScullyが大事に抱えたままの小さな箱から時計を出して、彼女のほっそりとした左腕に
まるで神聖な儀式のように、それをつけた。
それはあたかもあつらえたかのように、彼女の手首にフィットした。
そして彼女の手の甲に軽くキスをすると、その手を胸に抱いたまま、
彼は誓いの言葉を口にするように彼女に語りかけた。

「Scully、この秒針が正確に動き続けていくように、一刻一刻と確実に現在が過去に変わっていく。
　それは誰にも止めることはできない。
　２人が一緒にいれば、たとえこのまま果てしなく続くように思える苦しみや闘いも、
　いつかは必ず過去となり、振り返ることができる日が来るんだ。
　僕はそれを信じたい」

Mulderは、Scullyの白い手にもう一度優しくキスをした。

「２人が将来、何らかの理由で一時的に離ればなれになったとしても、
　それは２人の未来のための１つの手段にすぎない。
　僕らの心は通じ合っている。
　僕らは同じ未来を見つめて、同じ未来を信じているんだ。
　Scully、どうかそれを忘れないでいてほしい」

「いいえ、Mulder。私たちはどんな理由があろうと離れ離れにはならないわ。
　だって私は何があってもあなたの側を離れないもの」

Scullyは確信に満ちた声で、そう答えた。そして左腕で時を刻む時計に視線を落としてから、
再びMulderを見上げ、こう続けた。

「私たちは、２人で同じ方向を見つめながら時を重ねていけるのね」

Mulderを見上げるScullyの蒼い瞳は、いまにも溢れそうな涙で美しく輝いていた。
それはまるで花嫁が「Yes, I do.」と答える瞬間のように．．．。

「僕は確かな約束も指輪もあげられないけど、今の僕と、これからの僕のすべてを君にあげるよ。
　明るい未来は必ず訪れるさ、Scully。
　その日のために、過去になっていく、そして未来に繋がる『今』を大事にしよう」

静かに微笑みあう２人の間で時計は正確に動いていく。
１秒１秒と今が過去に、そして未来が今に変わっていく。

これからも、Mulderは真実の追究を止めないだろう。
しかしそれはもう孤独な戦いではない。
今までの長い年月、２人にとって言葉にしなくても通じるものがあった。
しかし言葉にしないと伝わらないものもある。言葉の助けを借りることによって、
２人のテレパシーは強まり、今まで以上に信じあい、愛し合うことができる。
今まで感じていた小さな疑惑はすべて払拭され、お互いの心がガラス細工のように透けて見えた。
彼らの見つめ合う瞳にお互いの姿しか映っていないように、その心にも、唯一無二の存在として
お互いが住んでいる。

この幸せな時間のあとに辛い日々が待っていようと、それは２人にとってただの通過点であり、
幸せな未来へと続く道のりの１瞬にすぎない。
こうありたいと信じ続ける強い心こそが奇跡をも生むのだということを、MulderとScullyは
命をかけて支えあった長い年月で知っているのだった。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 - to be continued -