「侵入者に気づくのが遅すぎるぞ、Agent Scully」

Scullyは一瞬体を硬直させてから声の主をたしかめると、止めていた息を吐き出した。

「Mulder、おどかさないで。灯かりもつけずにどうしたの？」

「僕が殺人犯だったら今ごろ君はあの世行きだ。アカデミーで勉強をしなおす必要があるな」

Mulderはスーツのままソファに横になり、Scullyの質問には答えず、
頭すら持ち上げずに彼女を見上げてそう言った。
そんな彼の表情から彼になにがあったのかを想像することは、Scullyにとって難しいことではなかった。
Mulderはまた、信じたものを失ったのだ。
また一つ、彼の手のひらから真実がこぼれ落ちた。
彼が宝石のように大切に大切に両手に抱えた真実は、ある一瞬から無意味な砂となり
彼の両手の指の間から、サラサラと滑り落ち彼のもとには何一つ残らない。
そんなときの彼の表情を、Scullyはよく知っていた。

「私がアカデミーに戻ったら、一番困るのはあなたのはずよ。
　長い話になりそうね、まず着替えさせて。
　あなたもシャワーでも浴びて着替えたら？スーツがシワになるわ。
　Tシャツとジーンズなら洗濯したものがクローゼットにあるから」

Mulderは相変わらずソファに長い脚を投げ出して横になったまま、
Scullyを見上げて無言で首を横に振った。

「とにかく私の着替えが終わるまでに、
　あなたの隣に私が座るスペースを空けておいてくれるとありがたいわ」

Scullyはスーツの上着を脱ぎながらそう言うと、Mulderの横を通り過ぎてベッドルームへと入った。
彼女が脇を通った時にふわりと漂った花のような香りは香水ではなく、
彼女自身の香りだということをMulderは知っていた。
彼はゆっくりと瞳を閉じると大きく息を吸い込んで、彼女の香りを味わった。
すると徐々に心が落ち着いて、無条件に安心してくるのがわかった。

Scullyのベッドの脇には、昨夜彼女が１時間近く迷ったあげくにやっと決めたコーディネートが
ハンガーにかけてあった。
胸元が大きく開いた淡いグリーンのニットと、オフホワイト地に
グリーンの小花模様が描かれたAラインのロングスカート。

「昨日のうちに決めておいてよかった」

Scullyはそう呟きながら手早く、仕事用で１分のすきもないが愛想もない黒のパンツスーツから、
Mulderのために選んだプライベートな時間のための柔らかい服に着替えた。

Scullyは仕事以外でMulderに会う時にはグリーンのトップを着ることが多かった。
それはMulderの瞳の色が彼女の着ている服の色を映して、
ときどき綺麗なグリーンに見えるときがあるからで、彼女はその瞬間がなによりも好きだったから。
彼女は手早く、落ち着いたピンクのルージュをつけなおすと、
『きっとすぐにこの色は彼に掠め取られてしまう』
無意識に心に浮かんだ自分のこの考えに気づき、白い肌を耳まで赤く染めた。

Scullyが着替えてリビングルームへ入っていくと、Mulderはスーツの上着を脱いでネクタイを緩め、
腕を組んでソファに深く沈んで座っていた。
彼は長い脚をもてあまし気味に交差して前へと投げ出し、
ユラユラとリズムをとっているつま先をじっと見つめていた。
どうやらMulderはScullyの言いつけを守り、彼女の座るスペースをあけておいたようだ。

「で、何があったの？」

そんな彼の様子に思わず笑ってしまいそうになるのをなんとかこらえながら、
ScullyはMulderの隣へ座ると彼のほうへ向き合って、彼の栗色の前髪を優しくかき上げた。

「カリフォルニアの強い日差しで日焼けしたよ。
　おまけにサングラスを忘れて空港の売店で買ったんだ。
　明るい日差しと雲ひとつない青空を君に持って帰りたかった」

Scullyは穏やかに微笑みながら彼の前髪を指にからめ、無言で先を促がした。

「．．．いつもと同じさ、Scully。近づいたと思うと必ずなにか大きなものに阻まれる。
　7年前と何一つ変わっちゃいない。証拠はすべて消されて証人は揃って口をつぐむんだ」

MulderはScullyと目を合わさずに答えた。
というよりも、彼はいつも見慣れたスーツとはガラリと印象を変えたScullyを
直視することができなかった、というほうが正しい。
生真面目なスーツを脱いで心からリラックスした彼女を見ることができる幸運な男はかなり限られる。
その上彼女の美しい蒼い瞳に見つめられて親しげに髪をなでられる男など、この世には一人もいない。
世界一幸運な男、Fox Mulderをのぞいては。
そして半径１ｍ以内に他人を近づけようとしないFox Mulderが、その警戒を解き、いつでも意見を求め、
信頼し、気を許し、彼の心の奥にふれることを特別に許した唯一の他人、それがDana Scullyだった。

彼女の白い胸元に揺れる金色のクロスは眩しく光り、彼が３日間夢に見た柔らかな微笑みに
彼の理性はふきとんでしまいそうだった。
体の前で組んだ両腕は彼女に触れたくてムズムズしていたが、
今、この状況ではそんな無作法を彼女は許してくれないだろうと思ったので
勝手に腕が彼女を求めて動き出さないように、彼は固く腕を組みなおした。
Mulderがなんとか落ち着こうと目をふせると、Scullyの細い足首が視界の隅に入った。
『なんてことだ、彼女は素足じゃないか！』　
彼は追いつめられて逃げ場を失ったように瞳を閉じた。
彼が長年のFBI捜査官という仕事で培った巧妙なポーカーフェイスは、
赤い髪の小柄な女性の素足によって一瞬に壊された。

Mulderの心の内の葛藤に気づかないScullyではなかったが、彼の動揺の原因が彼女にあるという
真実には、まだ辿りつけずにいるのだった。
彼女は深い落ち着いた声で彼に尋ねた。

「Mulder、あなたはこんなに裏切られ続けても、まだ信じようとするの？」

「そうさ、Scully。僕は信じ続ける。それが僕の生き方だ。今さらこれは変えられない。
　信じることからすべては始まる、この信念もね。
　それがFox Mulderだろ？」

MulderはScullyの白い素足を忘れようと、まるで絨毯の上に身長５ｃｍのリトルグリーンマンを
発見したかのように、目を伏せて興味深げに一点を見つめ、自嘲するように皮肉な笑みを浮かべた。

『Mulder、その顔は反則よ。
　私の理論的、科学的思考の邪魔をする。
　つまり理論なんて放り投げて、あなたを抱きしめたくなるってこと』
Scullyは心の中でそう呟いたが、彼女の唇は違う言葉を話した。

「Mulder、あなたは昔からなんでもかんでも超常現象と結びつけたがるけど、
　その前に冷静に考えるべきだわ。物事にはすべて理由があるのよ。
　それはすべて．．．いえ、ほとんど、科学で証明できるものだわ。
　たとえ科学で証明できないものがあったとしても、それはあなたの言うような謎ではなく、
　私たちの知識不足なのよ。
　あなたはもう少し．．．なんていうか．．．視野を広げるべきよ」

Scullyが言い難そうに最後の言葉を言い終えると、
Mulderはゆっくりとソファに座りなおして瞳を閉じ、しばらくの沈黙ののちに話し始めた。

「君は理解できないことに遭遇すると、それを自分で納得のいくように理屈をつけて
　自分の引き出しにあうような大きさに作り変えて、
　最後にはそれを引き出しの奥にしまいこんでしまうんだ。
　どうして事実を事実として、そのまま受け入れられない？
　君はこの７年間にそれを見て、聞いて、さわることができた。
　それなのにどうして感じることができないんだ。
　君こそ視野を広げるべきだよ」

今、Mulderの瞳はまっすぐにScullyをとらえていた。
交わされる会話自体は２人にとってお決まりのものだったが、
Mulderの声のトーンは以前とは違っていた。
以前のように激しく、時に苛立って自分の気持ちをぶつけるのではなく、
その声は柔らかで、低く、優しげでもあった。

「目で見て、耳で聞いて、手で触れたのなら、心で感じてみることだ。
　心を開いて君の心にはりめぐらせた常識という垣根をとってごらん。
　その垣根のむこうに君の知らない、もうひとつの世界が開けるはずだ。
　可能性は無限にある。それから目をそむけてはダメだ。
　未知の可能性に心を開いてごらん」

ScullyはMulderをしばらく無言で見つめた後、一言ずつ言葉を選ぶように
ゆっくりと話し始めた。

「Mulder、たとえば小さなボートに一人あお向けに横になって、波に揺られるままに身を任せ、
　私の上に広がる青い空と白い雲を見つめているのは気持ちがいいわ。
　まるで自分が地球の一部になったような気分よ。
　でも、じきに不安になる。私だけが一人取り残されたように感じるの。
　自分の意志の及ばない、なにかもっと大きなものに支配され、飲み込まれていくような感覚。
　そして私は起き上がってオールを握りしめ、岸へと向かうんだわ。
　あなたのようにオールまで捨ててしまって、すっかり海へ身をゆだねるようなことは
　私にはできない。」

「君は大自然と一体になることが怖いのかい？」

「．．．ええ。怖いわ。
　神の領域を侵し始めた科学、処理しきれないほどに溢れる情報、
　体がいくつあっても足りないほどの仕事、こんなものから逃れたいと思いながら、
　いざ眩暈がしそうなほど大きな自然、人間の力ではコントロールできない大きなものに
　両手を離して身をゆだねるのは勇気のいることだわ。
　醜いけれど便利で都合のいいこちらの世界に毒されたのかしら」

「君は意外に怖がりなんだな？
　Scully、自然は人間にとってただの背景じゃないんだ。
　もちろんそれは我々の想像を遥かに越えたもので、あなどってはいけないけど、
　生きているものが、その命を全うした時に最終的に帰るべきところだ。
　僕らは自然によって生かされているんだから。僕らの一部であり、すべてだよ」

しばらくの沈黙の後に、Scullyがポツリと尋ねた。

「どうしてそんなことができるの？」

「ん？」

「どうして、そんなにひたむきに信じ続けられるの？」

Mulderは無言で、ただ微笑んだ。そして口を開きかけたが、小さく首を横にふってScullyから
目をそらせた。

「Mulder、言いかけて途中でやめるのはずるいわよ」

部屋の中を無意味に漂わせていた彼の視線がScullyに戻された時、その瞳は深く、穏やかな色を
たたえていた。

「信じたものに裏切られ続けて、たとえすべてを失ったとしても、僕はずっと信じ続ける。
　なぜなら僕は一番大切な真実を、すでに手に入れているからさ。
　Dana、君だけは僕を裏切らないことがわかっているから」

「Mulder」

「Fox。Foxって呼んでくれ」

「Mulderって呼ばせたのはあなたよ。親にもそう呼ばせてるからって．．．。
　．．．Fox」

MulderはScullyが自分の名前を呼ぶのを聞いてにっこりと微笑んだ。
その微笑があまりにも無防備に素直な嬉しさをあらわしていたので、
彼女は彼のそんな微笑が見れるのならば１００回でもFoxと呼び続けてもいいくらいだと思った。

そして普通の恋人同士のように彼のことをFoxと呼ぶのは、悪くないアイデアだと彼女も思っていた。
しかし、あのブルネットの女捜査官のように「Fox、Fox」と安っぽく連呼するつもりは
Scullyにはなかった。彼の名前はもっと大切な時のためにとっておこう。

そして彼女にとって「Mulder」という名前には、不思議な力がある。特別な『何か』がある。
それはキリスト教徒の『アーメン』にも似た、ある種の祈りの言葉のような、
大きな意味のある大切で神聖な名前だった。

朝起きたときに唱え、寝る前に唱え、そして戦いの前に必ず唱える、そんな種類の名前。
それが彼女の「Mulder」だった。
「Mulder」と呼びかけることで安心し、心を落ち着かせることができた。

「あなたが自分をMulderと呼ばせたときの車の中での会話を覚えてる？
　私が張り込み中のあなたにサンドイッチと『飲み物』を届けたときのこと。
　あれ以来あなたへの飲み物の差し入れはアイスティーだけよ、気づいてた？」

『飲み物』のところにアクセントをつけて、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

「もちろん。それをどう受け取っていいのか悶々として眠れない夜もあったくらいさ」

Scullyは少し首をかしげ、美しいブルーの瞳を大きく見開いて、『なぜ？』と無言で質問した。

「それは君の僕への好意なのか、それとも別の意味があるのに鈍感な僕は
　君の心の深い部分を、また見落としているんだろうかって。
　でも夢の中で、ずっと君は僕のものだった」

「あなたも怖がりね。
　昔も今も、そしてこれからも、私はずっとあなたのものよ」

Scullyはからかうように、そして安心させるようにそう言って、
両手をMulderの頬にそえると彼の右のまつ毛に軽くキスを落とし、そして彼の額に長いキスをした。
Scullyが名残惜しげに唇をMulderの額から離すと、彼は大きくて繊細な手を彼女の首にまわし、
そっと引きよせて、唇を求めてきた。

「待ってMulder、３日ぶりにあなたに会うんだもの、私には計画があったのよ。
　普通の恋人同士のように『お帰りなさい、淋しかったわ』って言って、
　それからキスをしたかったの。
　子供みたいだって笑わないで。あなたがいない間、ずっとそう思ってたの」

ScullyはMulderの首にかるく両手をまわして、お互いの唇がふれ合いそうなほどの距離で
恥ずかしそうな笑顔を見せた。

「じゃぁ今言って。ここでやり直そう」

MulderはScullyの、ほんのり赤いつぼみのような唇をじっと見つめながら、低く甘い声で囁いた。

「だめ。ドアから入って来るところからよ。仕事の話はなしで、もう一度最初から．．．」

ScullyはMulderの首にまわした腕をとき、軽くMulderの胸を押して彼女から離した。

「再会の瞬間をやりなおすかい？部屋に明かりをつけて、行儀よくソファに座って君を待ってるよ」

Mulderはため息をつきながら、あきらめ顔を作ってそう言った。

「だめよ、Mulder。私は家であなたを迎えたかったの。
　だから部屋を出るのは、あなたのほうよ」

Mulderは、おっしゃるとおりにというように眉をちょっと上げて
軽い会釈をしてみせてから立ち上がると、スーツの上着をとり、
それをひょいと人差指で肩にひっかけてドアへと向かい、Scullyも彼をドアまで送った。
ドアノブに手をかけたところでMulderはくるりとScullyへと振り向いた。

「どうしてわかった？」

「何？」

Mulderの唐突な質問の意味が理解できずに、Scullyはとっさに聞き返した。

「君は僕の話を聞く前から、だいたいその内容の見当がついてたんだろ？
　なんでわかる？」

「そんなこと簡単よ、あなたのその顔を見ればすぐにわかるわ」

ScullyはMulderを見上げてあっさりそう答えた。
一瞬の沈黙の後、２人が同時に口を開いた。

「大切な鍵をなくして、どうやって部屋に入ろうかと悩んでいるような顔」

MulderとScullyはそう言いおわると、面白そうにクスクスと笑った。

「Ahh...Scully」

クスクス笑いが収まったあと、Mulderがおずおずときりだした。

「なに？」

「あの...その服、とてもいいよ。
　君にとても似合ってる」

そしてMulderは一瞬天を仰ぐような仕草をすると、優しい瞳でScullyを見おろし、
そのままドアを開けて出て行った。
Mulderの慣れないながらも精一杯の褒め言葉にScullyは胸が暖かくなるのを感じて、にっこり微笑んだ。

パタンとドアが閉まると、Scullyは急いでMulderを迎える準備をした。
頭の中では今日のディナーのメニューが駆け巡っていた。
取捨選択を繰り返し、結局、白ワインにパスタとサラダ、
それに不本意ながらスープの缶詰をあけることにした。
そしてバスルームの鏡の前へ急ぎ、強い香りを好まないMulderのために、
いつもシャワーの後につけるボディースプレーを耳の後ろに軽く吹きかけた。
鏡に映る彼女の顔は、頬が少し上気し、瞳はキラキラと光を放ち、彼女自身見たこともない
恋におちた女性の顔だった。

突然部屋で鳴り出した電話のベルにハッとして、Scullyはリビングへと急いだ。
電話のベルに一瞬Mulderの顔がよぎったが、そんなはずはない。彼は今廊下を探索中だ。
Scullyはサラリと髪を耳にかけると、受話器をとった。

「Scully」

「Dana」

「ママ! Hi. かわりない？」

久しぶりの母、マーガレットの声にScullyは少女のような笑顔を見せた。

「ええ、あなたは？」

「元気よ。なにかあった？」

「たいしたことじゃないのよ。
　ビルから連絡があってね、明日の土曜に久しぶりに家族で食事に来ることになったの。
　あなたもどうかと思って。ビルやタラとは久しぶりでしょう？」

「そうね．．．」

言いよどむScullyを敏感に察してマーガレットが続けた。

「ああ、何か用事あるのなら無理にとは言わないわ。
　また機会があるでしょうから」

「そんなことないわ、ママ。行くわ、久しぶりだもの」

「そう、よかった。
　ところでFoxは元気なの？」

「ええ、彼は元気よ。今日出張から戻ったの」

Scullyは、母の口からFoxという名前が出ただけで心臓が飛び上がった自分に苦笑した。

「あら、あなたも一緒に出張に？」

「いいえ、今回は事情があって彼だけで。でも大丈夫、無事に戻ったわ」

「Dana、彼とは．．．その．．．うまくいってるの？」

「え？」

「ああ、ごめんなさい。立ち入ったことを聞くつもりはなかったのよ。
　いいの。あなたたちが元気なら、それでいいわ」

「．．．ママ。私たち、うまくいってるわ。今 Mulderはここにいるの」

一瞬の沈黙のあと、心から嬉しそうなマーガレットの声が聞こえた。

「まあ、そうだったの。素晴らしいわ。
　Dana、彼はあなたへの気持ちを言葉で伝えた？」

「ええ、そうよ。『私たち』は言葉で伝え合ったわ」

「そうなの．．．。
　テレ屋のうえに相手の気持ちばかりを考えて、なかなか自分の正直な気持ちを言葉にできないFoxと
　頑固に自分の感情を押さえて、誰かさんのためにだけ生きているようなDanaが、
　言葉で気持ちを伝え合ったのなら、それは本物だわ。
　Dana、彼の一言は他の人の１００倍も価値のある言葉よ」

「わかってる」

Scullyは静かに微笑んだ。

「私はFoxとは数えるほどしか会っていないけど、彼と一緒のあなたはとっても自然だったわ。
　私はそんなあなたを見ていると嬉しくなるの。
　素直に自分を出せる相手とめぐり逢うことって、貴重なことよ。
　大事にしなさいね。Foxの前であなたは、とても美しく笑うわ」

「ママ」

「Dana、あなた幸せ？」

「ええママ、とっても」

「よかった。Foxを待たせては悪いわ。切るわね」

「．．．ママ。」

「なに？」

「．．．ごめんなさい。明日はやっぱり行かれそうにないわ」

「Dana、その言葉を待っていたのよ。
　ビルには上手く言っておくわ。Foxによろしくね。Bye、Dana」

受話器のむこうでカチリという音がしたのを確認して、Scullyは電話を置いた。
母に心を言い当てられた気恥ずかしさと、Mulderとのことを報告できた嬉しさとが波のように
混ざり合って、彼女は美しい微笑を見せた。
そして『今が幸せ』と母に答えることができた自分を誇らしく思った。



Scullyの部屋の前の廊下をゆっくりと行き来しながら、Mulderは呟いた。

「僕はいったい何してるんだ。追い出されちまったじゃないか」

しかし彼の顔にはScullyへの愛情溢れる優しい笑顔が広がっていた。
彼はスーツの上着をはおり、緩めたネクタイをきちんと締め直しながら、こう考えた。

『Scully、君の好きなようにしていいんだ。
　僕は廊下に締め出された間抜けな男の役も、喜んで演じよう。
　夜は長い。時間はたっぷりあるさ』

Mulderは腰に手をあてて所在なさそうに、一定のリズムをとっている自分のつま先を見おろしていた。


Knock, knock, knock...
いつもより少しだけ丁寧なノックの音にScullyはおもわず微笑んで、
小走りにドアへ急ぎ、大きくそれを内側へと開いた。
そこには黒に近いチャコールグレイのスーツを着て、プレーンなストライプのネクタイを
きちんと締め直したMulderが、Scullyを見おろしてにっこり微笑んで立っていた。

「ああMulder、お帰りなさい。淋しかったわ」

「僕も君に会いたかった」

Mulderの答えももどかしいように、Scullyは両手を彼の首に回し、背伸びをしてキスを求めた。
Mulderは彼女のウエストに軽く手を回し、腰をかがめて彼女の歓迎のキスを受けながら、
ふさがっている両手の代わりに長い脚でドアを閉めた。

Scullyは目を閉じて、彼女が待ち焦がれたMulderのしっとりとして魅力的な唇を味わった。
Mulderは何度か唇を軽く離し、そして再び違う角度から責めてきた。
彼は先ほど彼女がつけた香りを敏感に感じとり、彼女自身の香りにほどよくミックスされた
ほのかなその香りのせいで眩暈を覚えた。
彼女が仕事場ではつけない香り、彼女のプライベートな香り、Mulderしか知らない香り。

ScullyはMulderの首に回していた彼女の両手を、彼の栗色の髪に滑りこませて
柔らかいその感触を楽しんだ。
そして彼女の体に軽く触れる、彼のスーツのポケットの『何か』が携帯電話だということに
密かに５ドル賭けた。
しかしそれがもしメガネだったら、１００ドル払ってもいいと思った。
『頭がどうかしちゃったんじゃないの？Dana Scully.』
心の片隅に追いやられた彼女の理性がお説教をはじめたが、
そのわずかな理性も、すぐに正直で激しい欲望に取って代わられて、あっというまに消えうせた。

激しくお互いを求め合っていた唇が愛情深いキスへと変わってきたころ、Scullyは彼女の腰に
回されていたMulderの右手がゆっくりとそこを離れ、彼のスーツの上着のポケットを
まさぐっているのを感じた。
長いキスのあと、Scullyが瞳を開くと同時に何か固い小さなものが、彼女の体にさわった。

「Scully、君へのうんと早いか、うんと遅い誕生日プレゼントだ」

Mulderは、はにかんだような笑顔を見せて、Scullyの手の上にちょうど収まる大きさの
四角い箱をおいた。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 - to be continued -