Washington, D.C.

局からの帰り道、いつもの金曜の渋滞に巻き込まれたScullyは運転席からぼんやりと
外の景色を眺めていた。
Mulderの部屋でお互いの想いを確かめ合った今、Scullyには見慣れたはずのいつもの景色が
いままでとはまったく違うものに思えた。
モノトーンで寒々しく、無関心で無表情な人々に溢れているように思えたこの街が、
今は活気に溢れ、人々は陽気に挨拶をかわし、街路樹は寄り添い、風はさわやかで気持ちがよかった。
目に映る何もかもが新鮮でいきいきと輝いて見えた。

「Dana、１０代の女の子みたいよ」

微笑みながらScullyは独り言を呟いで、それでもずいぶん前に忘れてしまった、
この浮き立つような気分を楽しんでもいた。
それにしてもこの渋滞、いくらなんでもこれでは良い気分も吹きとんでしまうというものだ。
Scullyはハンドルに置いた両手でイライラとリズムをとり始めた。
左手首にチラリとのぞく腕時計を確認すると６時をまわったところだ。

Scullyが連続猟奇殺人事件の被害者の解剖をスキナー副長官からじきじきに頼まれたために、
今回のカリフォルニアへの出張にはMulder一人で出かけていた。
先ほどのMulderからの電話によると彼は出張を終え、もう空港についてタクシーでScullyの
アパートへ向かっているころだ。

このままではMulderのほうが早くScullyのアパートへ着いてしまうかもしれない。
３日ぶりに会う彼のために今日は手料理を作ろうと思っていたのに。

少しずつノロノロと這うようにでも動いていた車の流れが、とうとう完全に止まってしまうと、
Scullyは溜息をついて、ブレーキペダルを踏んだ。
ハンドルを握ったまま、ぼんやりと外を眺めながら、彼女はMulderとの長い年月を振り返っていた。
７年前の初めての出会い。
彼の城ともいうべき、あの地下オフィスのドアを開け、振り向いた彼と握手をかわしたその時、
運命は回り始めた。
あの瞬間に、Scullyにとっての本当の意味での人生が始まったとも言える。

所狭しと貼られた気味の悪い写真、たくさんの本が積み上げられ、あるいは崩れ落ち、
メモがちらばった机の上は、あたかも竜巻が去った後のようだった。
その竜巻が彼によって制御されていて、じつはどこになにがあるのかを彼はちゃんとわかっている
ということにScullyが気づくのは、しばらく後になる。
しかしScullyとオフィスを共有するようになってから、彼女のおかげで
Mulderは机の上に足をかけるスペースを確保できるようになった。

お互いに相手を探り合った時期をすぎると、急速に２人の信頼感は強くなった。
ScullyはMulderを魅力的な異性として意識する前に、とてつもなく大きなものに、
たった一人で挑み続けている人間として見ていた。
男性としての彼にときめく前に、かけがえのない親友としての彼にやすらいでいた。
彼の信じる姿勢から生まれる溢れるような情熱や確固たる信念は、彼女を動かし、
彼女の人生の中でまったく新しいタイプの人間であるFox Mulderに、共感し、信頼し、共に闘い、
そして尊敬した。
ＦＢＩではSpookyと呼ばれ、変人扱いされてきた彼の中に、
彼女は、他の誰よりも純粋で偏見のない、まっすぐな心を見出した。
そして彼も、今までけして誰も入れなかった領域に、彼女を受け入れた。

２人なら、途方もなく大きな難しいパズルも解くことができると信じた。
その信頼がいつしか愛情に変わり、愛し合っていることを心の底では感じながらも、
お互いが大切すぎて、失うことを恐れ、言葉にはできなかった長い日々。
そして彼女は彼に気持ちを伝えることで、彼が彼女を守り、保護し、庇うことを拒否した。
それでも、いつも彼は彼女の側にいた。
彼女が彼の助けを必要としている時には、必ず彼は手を差し伸べた。

５年前、彼女が謎のアブダクトから生還したあと、不安定な心を抱えた彼女を
彼はとても控えめな彼のやり方でカバーし、気遣った。
押し付けず、プライバシーにも立ち入らないが影のように寄りそい見守る彼のやり方に彼女は感謝し、
そしてそれは、彼女に捜査官としてのプライドを保たせた。
しかしそれと同時に彼の作る距離は、彼女にどこか淋しさや筋の通らない苛立ちを感じさせた。
その距離が彼女を尊重し、敬うためのものであることを充分理解しながらも、彼がその距離を
彼女のために飛び越えてくれることを心のどこかで願ってもいた。

あの頃のScullyは、じつは精神的にMulderを頼っていることに薄々気づきながらも、
心の中に感情を押し込めて、それに気づかないふりをした。
それは彼女のプライドのせいか、それとも彼への気持ちを彼女が認めたくなかったせいなのか。
その気持ちを認めてしまうことで、あっというまに彼女の中の微妙なバランスが崩れ、
彼へと落ちていきそうな危うい自分を恐れたためか。

まだまだ男社会であるＦＢＩに捜査官として入局し、女であるというだけで軽く見られたり、
聞き込みなどでＦＢＩのバッジを見せると、意味深なニヤニヤ笑いを見せられたことも何度もあった。
しかし彼女はその度に背筋を伸ばし、顎をツンと上へ向けて、持ち前の勝気な性格で
乗り越えてきた。
男女の枠をこえて、Mulderとはいつも対等でいたかったし、彼もそれを理解し、
またそれを望んでいることもわかっていた。
２人が男女の関係になることで、そのバランスが崩れることがScullyには一番恐ろしかった。

２人が大きな陰謀に巻き込まれる発端となったダラスでのビル爆破事件。
ScullyがFBIを去る決心を伝えにMulderの部屋を訪れたあの時、去っていこうとする彼女を
廊下へと追いかけてきた彼の瞳の中にいつもと違う揺らめきを見て、とまどい、体を固くしながらも
彼女の心は彼を受け入れていた。
あのとき彼女の体に異変が何も起こらずに、あのまま彼に身をまかせていれば、
２人はもっと早く親密な関係を持てたのだろうか。

「No」

彼女は小さく呟いた。
彼も彼女も感情が昂ぶっていたあのときに、その感情のままに彼を受け入れたとしても
今のような関係を彼と築けていたとは、Scullyには思えなかった。
きっと今までのように何ごともなかったかのように振るまい、
あたかもそれがあってはならない悲しい間違いだったかのように、
その行為をお互いに葬り去ってしまったかもしれないのだ。

それともMulderに『あのときは、どうかしていた』の言葉と共に謝られることを確信し、
Scullyにとって耐えがたい日々が続いたかもしれない。
そしてきっと彼女は彼から死刑宣告を受ける前に、
彼女の口から彼にそれを言い渡していたかもしれないのだ。
２人が特別な１歩を踏み出すには、多くの時間が必要だった。

しかし、その一線を越えた今、２人にとって何か変わったことがあるだろうか。
仕事をする上では、まったく以前と変わりはない。
MulderはScullyを必要以上に庇うことはなかった。
彼は彼女を優秀な捜査官として尊敬し、認めていた。
MulderはScullyの自由を尊重し、Scullyもまた、Mulderを自由にさせた。
もちろん彼を完全に飼いならすことは、Scullyをしても不可能であることを彼女は知っていた。

しかし２人はお互いに、危険が迫った時には命ををかけて守ろうとする。
そして自分の命を差し出してもいいとさえ思っていた。
しかしそれは今に始まったことではない。
２人はお互いの深い気持ちに気づくずっと以前から、
自分の命を預けられる唯一の相手と認めてあっていたのだから。

誰の意見も聞こうとしないMulderが、Scullyの言葉にだけは耳を傾けた。
Scullyは雑踏の騒音の中にいても、彼の声を敏感に聞き分けた。
Mulderが意見を求めたいときに、振り向けばいつもそこに彼を見つめるScullyの視線があった。

「１は最も孤独な数字」
孤独を愛し、孤独に愛されているかのように見えるFox Mulderが、じつは誰よりも孤独を恐れ
少年の頃からぬくもりや安らぎを探し求めていることをScullyは知っていた。
そして彼を癒すことができるのは、彼女意外にいないということも．．．。

２人が長い間かけて築き上げた関係は、簡単に変わるものではない。
恐れというものは、それに向き合っているときには、どうしようもなく不安で恐ろしいものだが、
勇気をだして、いざその中へと１歩踏み込んでしまえば、
そこはもとの世界と変わらず、今まで感じていた恐れは嘘のように消えてしまう。

ただ変わったことといえば、喉にあった息苦しい塊がたくさんの感情と共に吐き出されたこと。
そして、淋しい孤独な夜を過ごすことがなくなったこと。

２人にとってお互いは、頼りあって生きる存在ではなく、共に歩む人生のパートナーなのである。
相手を認め合い、尊敬し、そして挑み続ける。
愛しあっている恋人同士である以前に、最も信頼できる親友であり、命を預けた戦友であり、
深く理解しあっているパートナーである。
彼らの根底にこの意識がある限り、その関係はずっと続いていくだろう。
それがMulderとScullyの居心地のいい空間であり、彼らの流儀なのだ。

Scullyは思い出したように車のグローブボックスをさぐり、丸いメダルのキィーチェーンを手にとった。
それは３年前、Mulderが初めて彼女に贈った誕生日プレゼントだった。
彼女が何度も手にとったことを証明するかのように、メダルの黒い塗料はところどころ剥げていた。
彼女は右手の人差指にメダルのチェーンを通すと、手のひらの中のそれを裏返した。
金色の裏面には文字でこう刻まれている。

”アポロ１１号　月面着陸記念　１９６９年７月”

Mulderが人間の可能性を信じる証。そして彼の「信じたい心」の象徴。
マックスが乗った飛行機が謎の墜落をし、その直後ペンドレル捜査官が関連の事件に巻き込まれて
若い命を失った。
事件は一応の解決はみたものの、真実はいつもの通り、謎につつまれたままでX−FILEに残された。
あのときにマックスのトレーラーの前で、夜空を見上げながらScullyが語ったことが蘇る。

『あなたは私にどうしてあのキィーチェーンをくれたのか、そしてそれにどんな意味があるのかを
　話してはくれなかったけれど、私にはわかる気がするの。
　あなたは人間の力を信じているのよ。歴史の偉大な１歩は個人の力が成し遂げるのだと。
　夢は現実になりえる。だからあきらめるな。でも一人では何もできない。
　忍耐力と努力とチームワークが大切だと。
　そして私たちは偉大な１歩を称えると同時に、
　その影には尊い犠牲があったことを忘れてはならないと』

『ただかっこいいと思っただけだ』と言って、彼女の言葉に照れたような微笑で返した彼を
今でも彼女ははっきりと心に映し出すことができた。
Mulderはいつも、どんなときでも、心の中のほんのちょっぴりしか言葉にはしない。
しかしScullyは彼の瞳の色、声のトーン、わずかな表情の変化から、それを読み取ることができた。


２人とも『死』という言葉があまりにも身近すぎて、冗談にでも口に出せない時期があった。
死期が近い者だけに見えるゴースト、それを見てしまったことを認めたくないScullyがいた。
『死』に直面し、その厳しすぎる現実から目をそむけようとする彼女に、
彼女と同じ物を恐れていると言ったMulderの大きくて暖かい胸に、顔を埋めて泣きたい気持ちを
必死に押さえて一人彼に背を向けたScullyだった。
彼の優しさに甘えるわけにはいかない。
居心地のいい彼の腕の中で守られて、どこまでも彼に頼り、
『生きること』に立ち向かい、闘う気力がなくなることが怖かった。

Scullyは『死』と同じくらいに『彼をおいて逝く』ことが恐ろしかった。
Mulderは『彼女のいない世界』が恐ろしかった。
彼女がいなければ、彼は呼吸もできないような気がした。
彼女がいない世界では、正気を保っていられないと確信した。
真っ暗な夜空に唯一つ輝く星が姿を消せば、彼の世界は真の暗闇となるだろう。

しかし、ともすれば恐ろしい現実から目をそらしたくなる彼女に対して、あくまで彼は捜査官として、
医者としての冷静な判断を求め、また彼女に同情することなく対等に扱った。
それが彼女を奮い立たせ、しっかりと現実に目を開かせた。
そして、彼の情熱は彼女に力を与えた。

今Scullyは、彼の隣で呼吸をしていられることに感謝していた。
あのときに彼を拒絶したままで逝ってしまわなかったことに感謝していた。
『私は大丈夫』
その言葉で彼を何度となく傷つけ、心の扉を彼の前でピシャリと閉めたことを思い出した。
Scullyにとってそれは、彼女が彼女らしくあるために残された唯一の手段。
自分で閉めた扉の内側で、彼女は細くなっていく体を両手で抱きしめて孤独と向き合った。
そして彼女なしで生きていかなければならない彼のために、毎晩祈っていた。

『あの人の行く先に希望の光がありますように。
　太陽の光があの人を暖めてくれますように。
　夜の闇があの人を守ってくれますように。
　風や雨や嵐までもが、あの人の味方となってくれますように。
　大切なあの人を正しい道へと導いてくださいますように。
　あの人を愛し、理解し、信頼する誰かとめぐり合わせてくださいますように。
　暗く長いトンネルの遥か彼方に見える針の先ほどの小さな光が
　あの人へと続いていますように』

しかし同じ時に彼は閉められた扉の前で、どんな想いをしただろうか？
唇を一文字に結び、奥歯をかみ締めて耐えたのだろうか？
無情に閉じられた扉の前で、自分の無力を呪いながら彼女へと差し伸べた手を
力なく下ろしたのだろうか？
それでも守るように扉の前から１歩も動こうとしなかった彼に彼女は感謝した。
その扉を無理にこじ開けようとしなかった彼に感謝した。
どんなときも彼女を病人としてではなく、一人の捜査官として、彼のパートナーとして
対等に接してくれた彼に感謝した。
そして彼女をいつも大きな心で包んでくれる彼に、とても感謝した。

後ろの車が短いクラクションを鳴らし、Scullyが我にかえると、
前の車との間が４〜５ｍほど空いていた。
知らずに溢れていた涙を素早く指で拭い、彼女は手のひらに握っていたアポロ１１号の
キィーチェーンを戻すと、ゆっくりと車間距離をつめた。
渋滞でみな苛立っているのか、あちこちで鋭いクラクションの音が聞こえた。
Scullyはカラッポの助手席に目をやり、Mulderが無性に恋しくなった。
こんなときに隣に彼がいて、いつものくだらない軽口を聞かせてくれたらいいのに、と思った。
彼が持ち前の抜群の記憶力でインプットした百科事典並みの知識や、大衆紙からの雑学を、
よくとおる低い声で話すのを聞くのが彼女は好きだった。
たとえそれが彼女にとってはまったく興味のない話でも、彼の声は彼女を落ち着かせた。
さらには、そのときの彼の唇の形を鑑賞するのも彼女にとって、大きな楽しみの一つだった。
しっとりとした彼の唇は、一言話すたびに複雑な形に変化し、ときおり笑顔と共に見える
美しい白い歯や、その間からチラチラのぞく赤い舌、そしてそれが一瞬に彼の唇をなめる仕草や、
ボタンを１つ外したＹシャツからのぞく彼の首で、喉仏が上下する光景にはいつも心を奪われる。
特にScullyのいつもの位置　<Mulderの斜め下>　から見上げる様子は素晴らしかった。
Scullyは思考の波を漂いながら無意識に上唇をチラリと舐めた。
長い間一筋に見つめてきた愛する人の癖が、いつしか彼女の癖になっていることに
彼女自身気づいていない。

車の流れが再びノロノロと動き出した。
Scullyは、とりとめのない考えから目の前の渋滞に焦点を戻し、ハンドルを握りなおした。
そしてゆっくりと首を左右に傾けると、首の筋を伸ばした。

ふいに、さきほどの電話での疲れたMulderの声を思い出して、Scullyは少し眉根をひそめた。
彼が怪我をしたわけではないことはわかっていた。
事件に没頭すると寝食を忘れて働き続け、心をすり減らすMulderに
電話のたびにScullyは、彼の体と心を心配して細かく体調を聞いていたのだから。
いつものように彼の主治医として、そして今は新しく築いた関係である、彼の恋人として。
『恋人』という耳慣れない言葉が頭に浮かんできた途端、Scullyは気恥ずかしさと
嬉しさでソワソワと落ち着かない気分にみまわれて、１つ咳払いをして頭の中から『恋人』
という言葉と、Mulderの甘い笑顔を無理やり追い払った。

彼がいない３日間、Scullyはシャワーを浴びる時もバスルームに電話をおき、
夜はベッドの中にまで電話をもちこんでいた。
Scully自身、疲れきっているはずなのに、Mulderが彼女の声を聞きたいと思ったときに、
何かでその電話にでられないことが彼女には耐えられなかった。
Mulderが彼女を必要としている時には、いつでもそれに答えたかった。
離れているときには特にその思いが強くなる。

「どちらにしても彼はもうすぐ帰ってくる。今色々と心配してもしょうがないわ。
　私は彼のママじゃないんだから」

Scullyは小さくため息をついて、もう一度腕時計を確かめた。
それは先日のMulderとの犯人逮捕の時に、うっかりぶつけてガラスにヒビが入ってしまっていた。
皮のバンドももう古くなっている。

『君が怪我をしなくてよかった』

その後オフィスに着いてから、そう呟いて彼女の手の甲に優しく口づけたときのMulderを思い出し、
Scullyはかすかに微笑んだ。

「そろそろ買い換える時期ね。」

Scullyはため息まじりに呟くと、視線を車の列に戻した。
もっと早く買い換えるチャンスはたくさんあったものの、なぜ彼女はそれをしなかったのか。
それはScullyにとって明らかなことであった。

-　Mulderと共に長い旅を続けてきた自分、彼の隣を必死に走ってきた自分、その姿をこの時計は
　 誰よりも知っていたから。-

辛い時間も幸せな時間も、ずっとこの時計と共有してきたから、Scullyにとってこの時計は特別なもの、
言ってみれば戦友のような存在になっていた。

時々時間があるときに時計店をのぞいてみたが、Scullyの気に入ったものはなかなか見つからなかった。
あまり女らしい装飾のあるものは好きではなかったし、仕事柄不便だった。
まずシンプルで、時計の文字盤が見やすいこと。そして少しぐらいの彼女の無茶にも壊れることなく
辛抱強く動き続けること。でもあまりにも実用本位では味気ない。
働く女性が身につける時計として、どこかにおしゃれで洗練された雰囲気もほしかった。

そんな彼女の条件を満たすものはなかなかなく、いくつか手にとるものの、いつも店員に礼を言い、
「また来るわ」という言葉を繰り返していたScullyだった。

捜査官にとって、時計はとても大切なものだということはわかっていた。
お互いに秒針まで合わせて現場へ踏み込む場合に、５秒でも時計が狂っていたら
彼女はもちろん、パートナーの命さえも危険にさらすことになる。
しかしこの時計はガラスに傷がついたとはいえ、まだ正確に動いている。
それならば、もう少しこの時計と旅を続けるのもいいかもしれないと考えたりもしていた。
それが彼女らしくない考えだとはわかってはいたが．．．。

大渋滞をやっと抜け出し、Scullyがアパートへ着いたのは７時をまわっていた。
めずらしく定時で局を引けてきたのに、アパートへ着くまでに１時間以上もかかってしまった。
まだMulderは帰っていないらしく、部屋に灯りはついていなかった。

近くのスーパーによって買い込んだ食料の包みで両手がふさがれていたため、
Scullyは部屋の電気はつけずに、大きな包みをキッチンのテーブルの上にドサっと置いた。
思いのほか時間がかかったので、予定していたディナーとはだいぶ違う内容になりそうだ。
そして大事そうに時計を外すと、いつものようにそれを部屋のキィーと一緒に、
テーブルの上の小皿に入れた。
金属と陶磁器がぶつかるかすかな音が、静かな一人の部屋にやけに大きく響いて
Scullyは突然たまらなくMulderに会いたくなった自分に驚いた。

そんな気持ちを切り替えるように、彼女が部屋の電気をつけたと同時に、
ソファから聞きなれた声がした。

「侵入者に気づくのが遅すぎるぞ、Agent Scully」



- to be continued -