「天使に贈り物」
ミルクを飲み終わると満足気にカウチの上を転げ回っているかと思えばそこから降りて部屋中をハイハイしていたウィリアムは、カウチで雑誌を読んでいる祖母であるダナ・スカリーの母
マーガレットの足元まで来ると膝にすがりつくようにして立ち上がる。
「どうしたの、ウィル？」
ウィルは伝い歩きをするようになり、最近は一人で立ったかと思うと歩き出そうとするので本当に目が離せない。
興味がある物が目に入ると、そちらに向かって一直線。
障害物も跳ね飛ばすような勢いでハイハイで突っ込んでいき、飽きるまでいじくり回す。
悪戯が見つかって、駄目でしょうと叱られる時のその表情ときたらまるで誰かさんと同じねというのが、近頃のスカリーの口癖である。
膝の上に抱き上げられたウィルはあーあーと声を上げてしきりに何かを訴え、それがなんであるのかマーガレットが考えていた時であった。
「ウィル、ママ、ただいま」
鍵を開ける音がして、声と共にスカリーが帰ってきたのだ。
「おかえりなさい、ダナ」
マーガレットはウィルを抱き上げると娘を出迎える。
「ママ、ウィルはいい子にしていた？」
「ええ、今日もね」
スカリーは母の腕から両手を伸ばして抱っこをせがむウィルの姿に、捜査官から母親の顔になり息子を腕に抱く。
ずっしりと重い子供特有の高い体温が、冷え切った外の空気の中にいた彼女にはひどく心地良い。
「ダナ、食事はまだなんでしょう？」
「ええ、もうお腹がぺこぺこよ」
母が用意しておいてくれたクリームシチューを食べている間、ウィルはスカリーの母の腕の中で玩具をいじりながらやけに大人しくしているなと思ったら、今度はしきりに目をこすったり服に顔を押し付けたりする姿
に、やがて大きな欠伸をしながらウトウトとし始める。
「まるで、ダナの帰りを待っていたみたいね……」
静かに微笑んだマーガレットはウィルをベビーベットへと連れて行く。
やがて戻ってきた彼女が今日１日の出来事を娘と話しながら、ふと真顔になった。
「ダナ、今年のクリスマスは……どうするつもり？」
シチューをすくっていたスカリーの手が止まる。
ウィリアムが生まれてからの２度目ののクリスマス。
去年はモルダーとウィルと３人で過ごした。
彼とはそう頻繁に連絡が取れているわけではなく、実際スカリーもどうすべきか迷っている。
ウィルを連れて母の家に行くべきか。
ここでモルダーを待つか……。
「もしあなた達がよければ、３人で帰っていらっしゃい」
返事に迷う娘の姿に、母は優しくそう告げた。
クリスマス・イブは忙しい。
プレゼントを山積にしたカートを押したスカリーの目の前でウィルは物珍しいのか周囲をずっと見回したままだ。
「これで最後かしら……後は……」
リストの最後に残された名前に、スカリーの顔が一瞬曇る。
とうとう彼からは一度も連絡がなかった。
ローガンメンに聞いても、彼等は曖昧な返事しかくれなかったのだ。
もういいわ、今夜はこのままママの所へ行こう。
小さく溜息をつくと、スカリーは最後に残った名前の持ち主の為のプレゼントを選びはじめた。
いくら彼女が信心深くても、レジの長蛇の列の間に繰り返し聞かされたクリスマスソングにいいかげんにしろと銃を撃ちたくなってくる。
ようやく車に戻ってこれた時にはもうすで夜となっていた。
ウィルも疲れきったのかスカリーの腕の中ですっかり眠り込んでいる。
このまま母の家に向かうつもりであったが、ショッピング・モールの広場で輝くツリーのイルミネーションに目を奪われた。
「ちょっとぐらいなら……いいわよね」
誰に言うわけでもなく、スカリーは寝入っているせいか妙にぐにゃぐにゃのウィルを抱き直すと広場へと足を向けた。
光に溢れたツリーの周りには、家族連れや恋人達で賑わっている。
寄り添いながら甘い囁きを交わす男女に、両親になにかをねだっている幼い子供を父親が笑いながら抱き上げているのを、スカリーはぼんやりと見つめていた。
あれは……望む事が許されないヴィジョンなのか。
諦めていた子供を、私はこの手で抱く事ができた。
これ以上望む事は……。
やはり来なければよかったと踵を返して車に戻ろうとした時であった。
「……ねえ」
足元から聞こえてくる声に、スカリーは我に返る。
コートの裾を掴んでいるのは、紺色のフード付ダッフルコートを着てその上から白いマフラーを巻いた小さな男の子。
「どうしたの？」
ぐっすりと寝入っているウィルを抱いたまま、スカリーは屈んで男の子と視線を合わす。
「……パパは？どこのいりゅの？」
大きな青い目が今にも泣き出さんばかりに潤ませながらスカリーに尋ねる。
「困ったわね……迷子かしら。坊や、パパと一緒に来たの？」
優しい言葉にも男の子は小さく首を振るだけ。
「……いらっしゃい」
こんな小さな子を放っておくわけにはいかない。
スカリーは片手でウィルを抱え直すと、空いた手で男の子と手を繋ぐ。
柔らかく暖かな手に、何故だかスカリーの心が少し軽くなる。
まるで……前から知っているような感覚。
彼女は案内センターに男の子を連れていった。
幾つもの包みを抱えた長身の男がショーウィンドゥに映る人並みを見つめている。
今年はいつものクリスマスとは確実に違う。
もちろん去年も特別だった。
僕と彼女とそしてまだちっちゃなウィルと初めて過ごしたクリスマス・イブ。
毎年気が付けば僕はまともにクリスマス・イブを過ごした事がなかった。
一人ぼっちか、いつだったか彼女を強引にお化け屋敷に誘ってひどい目に遭ったなと苦笑いを浮かべた男は、腕の中の包みを見て目を細める。
彼女の分とそして……。
ウィルの事は連絡を取り合った時に成長ぶりを聞いていたけれど、最後に聞いた時は一人で座れるようになったって言ってたっけ。
あれからどれくらい成長したんだろう。
突然何の連絡もなしに会いに行ったら、スカリーは驚くだろうか。
もしかすると、怒り出すかもしれないな。
なかなか連絡できなくて、本当にすまないと思っている。
できれば、彼女とそして君の……いや僕らの子供であるウィルと一緒に暮らせるのであれば、どれだけ嬉しいか……。
だが、今はまだその時ではない。
今はまだ……。
「おっと、もうこんな時間だ」
時計に目をやり、モルダーは少し慌てた。
ふと視線を感じて振り返る。
人込みに紛れて彼を見つめているのは……。
「君は……」
見覚えのある男の子。
スカリーに想いを伝える勇気をくれた天使。
紺のダッフルコートに白いマフラーの男の子は、あの頃から少しも成長していない。
まるであの広場から直接ここにやって来たかのように、あの頃のままだ。
男の子はそれこそ天使のような笑みを浮かべると、黙ってモルダーの後ろを指差す。
振り返った彼の後ろは子供服のショーウィンドゥであった。
そこに色鮮やかな玩具と一緒に飾られている服に、彼は目を奪われる。
同時に奇妙な事に気が付く。
ガラスには行き交う人々しか映っていないのだ。
もう一度視線を戻した時、男の子はどこにもいなかった。
またガラスの向こう側に目を向ける。
意を決したモルダーは店の中へと入っていった。
「もう、帰らないと……」
迷子らしき男の子を係りの者に預けたスカリーは、車に戻る前にもう一度だけツリーを見たくなり広場に足を向ける。
人の多さは相変わらずではあったけれど、何故か彼女の耳にはその喧騒が気にならない。
手の中の温もりが、彼女の憂いを取り払ってくれたようだ。
そういえば、あの子どことなくウィルと似ていたわねと笑みを零す。
この子ももう少し大きくなれば、あんな感じになるのかしらと顔を覗き込んだ時、ウィルはぱっちりと目を開けた。
「ごめんね、起こしちゃったかしら」
母親の微笑みにウィルは暫くの間きょとんと見上げていたが、不意に手足をばたつかせ声を上げる。
「ウィル、どうしたの？」
スカリーは息子の突然の反応に驚くが、騒ぐウィルの様子は少しも悲しげではなく逆にひどく嬉しそうで、何かを指差しながらあーあーと何かを言わんとしているので、彼女はそちらに視線を向け……。
涙が出そうになるのを堪えるだけで精一杯だった。
両手一杯に抱えた箱や手提げ袋を持ったまま歩み寄る男の姿に、彼女はウィルを抱えたまま暫くの間呆然と立ち尽くす。
突然、ウィルがもがいてスカリーの腕の中から抜け落ちる。
地面に座り込んてしまったが、よろよろと立ち上がり……。
「ウィル、すごいぞ！」
モルダーの声にスカリーが我に返った時、２、３歩前に歩いてから転んでしまい泣いて助けを求めるウィルを高々と抱き上げる彼の姿が目に入った。
アパートの一室からカーテン越しに漏れ出ている暖かな光。
後片付けを終えたスカリーがリビングに戻ると、カウチに腰掛けたモルダーの腕の中でウィルはぐっすりと眠っていた。
「ほんとに驚いたわ。もしあのまままっすぐ帰ってママの所に行っていたら……」
食事の間中聞かされていた話であるが、モルダーは笑みを浮かべたまま聞いている。
「その迷子の男の子に感謝しなきゃな。でなきゃ僕はまた一人ぼっちの寂しいクリスマスを迎える羽目になっていたし」
「でも、どうして連絡ぐらいくれなかったの？電話してくれたら、料理だって……ん……」
文句を言い続けるスカリーの唇を、キスで塞ぐ。
深くそしてついばむように何度も互いを確かめ合った後で、漸く２人の唇が離れた。
「君を驚かせたくてね。……そうだ！」
悪戯っぽく囁きかけていたモルダーは不意に思い出しウィルを抱いたままカウチの横に置きっぱなしであった紙袋をスカリーに渡す。
「絶対にウィルに似合うって思ってね……」
「なあに？」
紙袋はよく見掛ける子供服のブランドメーカーのマークは入っていた。
箱詰めされラッピングされたそれを取り出したスカリーは中を見て息を呑む。
「これ……」
取り出したのは、紺色のフード付ダッフルコートと白いマフラー。
ショッピング・モールで出会った迷子の男の子が着ていた物と同じ服だ。
「さっき、これと同じ服を着ている可愛い迷子の男の子と出会ったの……」
「僕は以前これを着た天使と出会った事がある」
スカリーの手から小さなコートを受け取り膝の上で身体を丸めて眠るウィルにあててみるが、やはりまだ大きすぎる。
「天使？」
「僕と君を結びつけてくれた天使だよ」
「無神論者のあなたの言葉とは思えないわね」
それでも、スカリーの言葉には呆れたような響きは一切なかった。
父親を探していた迷子の男の子。
もしあの子に出会えなければ、私はモルダーと今日という日を共に過ごす事ができなかったかもしれない。
せめてこの日だけでもというささやかなそして一番の私の願いを適えてくれたのは、あの子だった。
あれは……。
「ねえ、スカリー……」
眠っているウィルを見下ろしたまま、モルダーはスカリーに語りかける。
「今はまだこの服を着るにはウィルは小さすぎるかもしれないけど、この服が着れるようになるまでには必ず君とウィルを迎えに来るよ。だから……ダナ？」
俯いたままモルダーの腕に顔を押し付けるスカリーの肩は震えていた。
膝の中でもぞもぞと動いたウィルを起こさぬよう注意深く腕を伸ばすと彼女を自分の胸に抱き寄せる。
「ダナ……返事は？」
泣き顔を見られたくなくて、それでもただ何度も頷きYesと答える。
「モルダー、明日朝一番に一緒に帰りましょう……」
くぐもった声にモルダーは尋ねた。
「どこにだい？」
「ママの家に決まってるでしょう」
「そりゃ光栄だね。久々に君のお母さんの手料理が食べたいよ。でも、その前に……」
メリークリスマス。
小さな天使と、そして誰よりも信頼しそして誰よりも愛する君へ……。
end |