DISCLAIMER： Just the wall,
not the bricks.
Love
for all Seasons
-2-
Coloring Fall
作：Kate Rickman
訳：tomo
September 29,1998
7：38AM
誰かの声がする。
僕は何層にも重ねられた眠りのベールから泳ぐように、声の方に向かって引き上げられた。
目を開けると、スカリーが僕の側で丸まって眠っている。
温かいなめらかな背中が僕の胸にあたり、柔らかい腰が腕の中にあった。
僕は彼女の髪に顔をうずめ、甘くかぐわしい香りをかいだ。
スカリーの唇はうっすらと開いていて、規則正しい寝息がこぼれて僕の腕をくすぐっている。
どうやら僕は夢も見ずに、一晩中彼女を抱いたまま眠っていたようだ。
『フォックス。』
先週のある日、スカリーは僕の名前を呼んだ。
だが口に出した途端、それが夜の僕たちの行為を思い出させすぎたかのように、まっ赤になって別の方を向いてしまった。
その日僕たちは古い埃だらけになったカタマラン（双胴型の小型ヨット）を小屋の中から発見し、陽の当たる場所へと運んだ。
埃だらけになってはいたが、帆はしっかりと巻かれていて保存状態は良かった。
洗って汚れを取り、新しく油を差すと、見違えるように蘇り、水辺に出しても問題ないようだった。
僕たちがヨットをロープで引いて水辺を目指して草地の間を横切ると、その場でくつろいでいた渡り鳥たちが一斉に飛び立ちながら、文句を言うように鳴きわめいた。
岸から海に入れて浮かべると、カタマラン・ヨットの薄いが力強いマストが風を受けて堂々と膨らみ、ポールをギシギシいわせながらすべるように進んだ。
スカリーの操縦で小さなヨットは波を乗り越え、跳ね飛びながら湾を横切り、夕日に向かってまっすぐに進んでいった。
波しぶきと共に冷たい風が横切る。
冷たく感じるのが当然の反応のはずなのに、なぜかこの時の僕は温かさを感じていた。
「フォックス、見て！」
スカリーが海岸の一点を指差した。
数え切れないほどのシラサギの群れが一斉に飛び立ち、広い湾に沿ってぐるりと廻るように飛んでいる。
体に細い脚をぴったりとつけ、白い大きな翼を広げて。
僕たちはシラサギと夕日に向かって競争したが、すぐに鳥たちは黒い点になって夕日のオレンジ色の光の中に溶けていってしまった。
スカリーは急角度に進路を変更してヨットをターンさせた。
僕は体が空に持ち上がるような重力を感じながら、回転にあわせて体を反らせ、進行方向を向いている彼女の顔を観察した。
彼女は顔をこちらに向けないようにじっと先を向いていたが、その頬の赤みを見ると、また僕の名前を呼んで赤くなっているのだと分かった。
「まだ慣れない？」
波に動かされながらジグザグに湾を進んでいく。
「君にそう呼ばれるのは嬉しいんだけどな、スカリー。」
夜になると彼女は僕の名前を何度も呼んでくれる。
ささやくように、叫ぶように乱れた息の間から呼び続けてくれる。
僕はその光景を思い出して微笑んで彼女にすり寄り、細い腰に腕をまわして手のひらをお腹にあて、のんびりと指を下にさまよわせて、そっと僕たちの秘密の部分を撫でた。
「ダナ。」
そういう僕も、まだ彼女を“スカリー”と呼ぶことの方が多かった。
他人が聞けばただの名字でしかないこの名前が、僕にはかけがえのない愛しい名前だと思っているんだ。
スカリー。
心の闇を吹き消す呪文。
彼女の名前を耳元でつぶやき、微笑みあう。
スカリー。
柔らかな太腿が僕の腰に回され、そのまま彼女の熱い中心に包み込まれる。
僕の全てを覆うように深く引き込まれ、身体が炎に変わっていく。
スカリー。
僕に突き上げられ、その衝撃で喘いで僕の名前を呼んだとき、言葉にならない感動が背中を駆けめぐり、全身が甘くしびれていく。
スカリー。
腕の中に抱きしめて息を整え、一緒に眠りの中に落ちていく。
彼女の温かさが恐怖や怖れを癒して安息を与えてくれる。
僕はこの幸せの中に浸り、いつまでも目覚めたくなかった。
だが何かが僕を強く眠りから引き戻したんだ。
「いるの？もう起きなさい。」
誰かの声がする。
重い瞼を開けて何度かまばたきしたのと同時に、ミセス・スカリーがドアを開けて朝日と共に入って来た。
まさか、冗談だろ？
反射的にベッドから起きあがりかけて、自分が全裸だということに気が付いた。
上半身は丸見えになり、下半身はかろうじてブランケットで隠されている。
だがもちろんミセス・スカリーにはその下が上半身と同じ状態だということは分かってしまっているだろう。
それに彼女の娘とずっと――昨夜は2回――このベッドで愛し合っていたことも一目瞭然だ。
ダナ・スカリーが35歳の大人の女性だということは言い訳にならないだろう。
6年近くもの間、僕がずっと彼女を愛していたということも聞いてもらえないだろう。
僕の命より、何よりも大切に愛していても。
ミセス・スカリーは彼女の母親なのだ。
僕はその娘と全裸でベッドにいて、しかも凍りついている。
「ミ、ミセス・スカリー・・・。」
その言葉は死体が言うよりも弱々しく引きつれて、ほとんど聞き取れないほど小さかった。
「・・・何？」
スカリーが眠たげな声を出して起きあがった。
僕はとっさに肩からすり落ちたシーツを掴んで彼女の胸を隠した。
スカリーは僕の動作に驚いて、いぶかしげに僕を見つめた後正面を向き、すぐにこの状況を悟った。
「ママ！それにチャーリー！」
彼女の声が甲高く震えた。
「ダナ、久しぶり・・・。」
ドアの側に立っていたミセス・スカリーの後ろから、赤毛の男が顔を出した。
スカリーはシーツを首まで上げて目を丸くし、家族を見つめた。
「まさか来るなんて・・・。」
全くだ。
「驚かせようと思ったのよ。」
ミセス・スカリーは微笑んだが、チャーリーはさすがに目の置き場に困ったように眉をひそめていた。
スカリーは何とか落ち着きを取り戻そうと懸命になりながら話を続けた。
「チャ、チャーリー、初めてよね。紹介するわ。彼はパートナーで・・・ええと・・・私の・・・友人で・・・その・・・」
彼女は言葉を止め、一気に答えた。
「彼がフォックス・モルダーよ。」
さすがスカリー。
「やっと会えたね。ビルから君のことはよく聞いてるよ。」
チャーリーが僕に顔を向けて言った。
勘弁してくれ。
「良い話だといいんですけどね。」
そうでない事くらい分かっている。
ビルにとって僕は可愛い妹に取り憑いた疫病神みたいな物だとでも思っているだろう。
確かにこれまでの僕の行動は、その評判に応えるものばかりだし。
勢いよく玄関のドアが開き、こちらに向かって廊下をパタパタ走る音が近づいてきた。
「ダナおばさん！」
興奮した甲高い声がしたかと思うと同時に、少女がベッドに飛び込んできた。
ダナの隣に裸の男がいてもおかまいなしに。
「ダナおばさん、そこにボートがあるの！知ってる？水の上よ。あれで海に行けるのよね？乗ってもいい？いい？おねがい！」
その子は洪水のように一気にまくしたてた。
「あれは“カタマラン”って言うのよ、ディオナ。」
スカリーは単語を注意深くゆっくり発音した。
「ボートじゃないの。」
どうやらスカリー家では、物の名前はしっかりと正確に覚えさせる習慣があるようだ。
「カ・タ・マ・ラ・ン」
ディオナは一言づつ確かめるように言い、そのしぐさに僕とスカリーは微笑んだ。
スカリーの頬にはいつもメイクで隠されているそばかすが現れて、まるで少女のように見え、大きなブルーの瞳が朝日に輝いていた。
「どうしたの？」
また別の声がドアでして、少女よりも年上の男の子が顔をのぞきこませた。
チャールズの息子のクリストファーだ。
クリストファーの後ろには、その子の母親だと思われる女性が立っている。
彼女も確かスカリー家の写真に写っていたぞ・・・チャーリーの妻のローラだ。
チャーリーとローラ。
ディオナとクリストファー。
ミセス・スカリー。
・・・僕たちはまさにスカリー家に囲まれているのだ。
後誰が足りないんだ？
ビルとタラとマシュー。
ビル。
まさかあいつも来るんじゃないだろうな。
僕はたじろいで、それだけはないようにと神に祈った。
「この人はだれ？ダナおばさん。」
ディオナはついにベッドの見知らぬ裸の男に気が付き、無垢な瞳で僕を見上げた。
「フォックスよ。」
「こんにちは、フォックスおじさん！」
ディオナは僕に飛びついて子供らしいハグをした。
胸に無警戒に飛び込まれ、僕は心の中の父性愛が目覚めるのを感じて彼女のカーリーヘアをなでた。
「えーと、僕は・・・」
僕はダナとの関係を説明しようと頭の中を整理しようとしたが、ディオナの声で邪魔された。
「外にいこう！いこう！いこう！」
彼女はベッドから飛び降りると、兄の手を引っ張って外へ向かおうとした。
「ねえはやく！ダナおばさんたちも！」
玄関のドアがバタンと閉じる音と共に部屋は居心地の悪い静けさに戻り、自分の呼吸する音までがいやに大きく聞こえるようになった。
ローラが夫の腕を取って部屋から出、また玄関が閉まる音がした。
部屋がさらにシーンとなった。
ミセス・スカリーは眉を――娘そっくりに――上げ、クルッと僕たちに背を向けて部屋を出て、そっとドアを閉めた。
僕たちは静けさの中に取り残されてしまった。
スカリーは目を丸くして枕につっぷし、くぐもったうめき声を上げた。
「いっそ殺して・・・！」
僕は同情して彼女の背中を撫でた。
「朝でまだ良かったじゃないか。もう少し早くお母さん達が来ていたら、もっとワイルドなところを見られてたかも知れないんだから。」
スカリーはつっぷしたまままっ赤になり、うめき声を上げた。
「いいじゃないか、スカリー。いつかは話すつもりだたんだからさ。」
スカリーはむっくり起きあがって笑いだし、その拍子にシーツが肩からすべり落ちた。
「さっきのあなたの顔ったら！」
彼女は笑い続けた。
「傑作よ！」
「顔だって？必死にシーツを首までひっぱり上げてた君の顔だって・・・傑作だよ。」
スカリーはクスクス笑ったまま身体を伸ばした。
シーツがさらに下がって、母親や兄弟達には見せられない部分が露わになり、僕の目を釘
付けにした。
「モルダー、ダメよ！」
スカリーはクスクス笑った。
僕は彼女がこんな風に笑う表情が大好きだ。
こんなプライベートな表情は僕だけしか知らない、特別な瞬間なんだ。
「モルダー！」
僕が引き寄せられるままに彼女の胸の蕾に吸い付くと声を上げた。
「ママが・・・」
舌で優しく転がして再び吸うと、声がかすれて長い尾を引いた。
「・・・きっとリビングに・・・。」
「いいだろ、スカリー。」
もう一方の胸に唇を移し、甘くおいしいものを食べるように口の中で転がし続けた。
「両親が隣の部屋でテレビを見ているときに、男の子とじゃれあったことはあるかい？」
「そんなこと・・・あるわけ・・・」
彼女は僕の髪に指を通して引き寄せた。
「どうして？ビルやチャーリーが家の中をパトロールしてたのか？」
スカリーは枕に倒れ込んで背中をそらせた。
「ああ・・・。」
彼女の胸を味わい、さらに唇を移動して鎖骨のくぼみへと行き、デリケートなうなじに舌を這わせて耳の後ろにキスし、きれいな顎のラインにそって舌を這わせて味わい、ついに唇に到着するとそこに深く侵入していった。
スカリーも顎を上げて、僕の情熱に対抗するように舌をからめてきた。
ダークスーツに身を包み、いつも冷静で完璧でいようとしている彼女と、今こうして情熱的にキスに応えているのも同じ彼女。
僕は世界一幸せな男だ。
僕の身体は彼女への欲求で熱く脈打ち、一刻も早く彼女の身体に自分を埋め込んで、無我夢中で彼女を愛したい欲望に駆られていた。
まるで彼女を愛することで、自分の存在を発見できるように。
だが僕はその代わりにため息をついて、額を彼女と合わせて目を開いた。
彼女のもう一つの思いも伝わってきていたからだ。
ミセス・スカリーがリビングルームで僕たちを待っている。
「・・・服を着て、もう行った方がいいのかな。」
「そうよ。」
僕は自分の言ったことを即座に後悔した。
いつまでも二人でベッドにいたいのに。
「後で必ずだぞ？」
「いいわ、約束する。」
スカリーはキスをして僕をなだめた。
数分後、彼女は服を着て僕を残してリビングへ行った。
少し遅れて僕が乱れた髪を手で直しながらリビングへ行くと、スカリーとミセス・スカリーがソファに座り、話し合っていた。
他の家族は外にいるようだ。
ミセス・スカリーは娘の方に身体を傾け、静かに聞いている。
スカリーは母親の腕を優しく撫でながら僕たちの関係を正直に話していた。
僕はミセス・スカリーが怒ってないことを雰囲気から感じ取ると、ソファの横に置いてある藤製の椅子の横に立って、言葉をかけられるのを待った。
すぐにミセス・スカリーが僕の方に向き直り、不安な気持ちを読みとったように言葉をかけてくれた。
「いいのよ、フォックス。気にしないでリラックスして。」
彼女はそう言って僕の腕を優しく叩いた。
「本当よ。」
ミセス・スカリーはさらに言葉を続けようとしたが、ポーチから玄関まで勢いよく駆けてきたディオナとクリストファーに邪魔された。
「おばあちゃん！パパが見つけたのよ！うき・・・う・・・」
「“浮き輪”。」
クリストファーが妹に代わって言い直した。
「そうよ。おばあちゃん、小屋にあったの！きて！海にいくの！」
ディオナはミセス・スカリーの手を引っ張ってポーチに連れて行った。
僕もスカリーも一緒について行った。
「待って、ディオナ。ダナとフォックス・・・おじさんがランチを作ってくれるはずだから、家にいなさい。」
ミセス・スカリーは振り向いて合図するように眉を上げた。
「その通りだよ。」
僕が答えた。
「でもちょっとだけ見て！」
「ディオナ、おばあちゃんの言うこと聞きなさい。」
スカリーは愛しそうにディオナの髪をクシャクシャっとなでた。
少女は少しの間不機嫌な顔になったが、また何か楽しいことを思い出したように顔を輝かせてミセス・スカリーの手を離し、草むらの中にスキップして行った。
「バイバイ、ダナおばさん、またね、フォックスおじさん！」
彼女は言い終わらないうちに、全力で湾に向かって草むらを走っていった。
ミセス・スカリーは彼女を追いかけようとして振り向いた。
「あの子ったら、あなたが気に入ったみたいね。」
「犬と子供には好かれるんです。」
僕は肩をすくめた。
午前の時間はあっという間に過ぎていった。
スカリーと僕はラベンダーソープをホイップクリームのように泡立てて一緒にシャワーを浴び、再び家族が合流するまでの短い間を楽しんだ。
午後になると、僕はデッキの端に座ってぼんやりとしていた。
スカリーとチャールズは買い物に行っていた。
僕も誘われたが遠慮した。
きっと兄妹だけでの話もあるだろうと思ったからだ。
ミセス・スカリーとローラはキッチンでクッキーを焼いたり、ディナーの下準備をしていて、時々笑い声と料理をする音が家の中から聞こえてくる。
ディオナとクリストファーは小屋の中で、何か賑やかに声を上げながら遊んでいるようだ。
高い空を見上げると、渡り鳥の群が一列になって南に向かって飛んでいた。
僕はデッキの手すりに座り直して陽を浴びながら、僕から安全な距離にある、幸せな音に耳を澄ませた。
海側から涼しい風が吹きつけ、少し身震いした。
何かが僕の腕をひっぱった。
ディオナだ。
頬がもう日に焼けてピンク色になり、その周りをカーリーヘアが覆っていた。
何も言わずにディオナはデッキの端に座るとスケッチブックとクレヨンの箱を開け、白いページと目の前の風景をじっと見ながら箱に手を入れ、茶色のクレヨンで描き始めた。
白い紙に縦長の太い茶色の長方形が力強く描き出された。
次に緑色のクレヨンに持ち替え、茶色の周りを一気に波形に囲った。
ああ、木か。
彼女はさらに明るいオレンジ色のクレヨンを取り、木の上の空間に丸を描いて中を塗りつぶした。
そして少し首を傾けると、自分の描いたものに満足するようにスケッチブックを見つめた。
「上手だね。」
僕はスケッチブックに描かれた木を見た後、実際に目の前の水辺に立っている木を眺めた。
「おじさんもかいて。」
ディオナはスケッチブックを僕に差し出した。
「僕は描けないよ。」
「かける。」
ディオナはそう言って僕の手のひらにクレヨンを置き、スカリーを思い出させる蒼い瞳で僕を見つめた。
この瞳で見つめられると、もう僕は抵抗できない。
僕は手の中で転がっているクレヨンを握ると、スケッチブックの新しいページを開いた。
ディオナがそっと小さな手で僕を止めた。
「ちがうの、わたしの続きをかいて。」
「せっかくの君の絵がダメになってしまうよ。」
「そんなことないから、続きをかいて。」
頑固者。
やっぱりスカリーの姪だ。
僕はきれいなブルーのクレヨンを求めて箱の中を探した。
セルリアン。
過去の悪夢が記憶の蓋を開けて蘇りそうになり、すぐにそのクレヨンを箱に戻した。
これじゃない。
僕は他の、普通のブルーのクレヨンを取り出し、先に広がる水平線のラインをディオナの絵に描き足し始めた。
―チェサピーク湾―
僕はビッグ・ブルーの姿を紫色で描き足したい衝動に駆られたが・・・もちろんここにはそんな怪物なんかいない。
ディオナが頬を僕の肩につけて寄りかかり、熱心に絵をのぞき込んだ。
黄土色で岸辺を描いてディオナの木に陸をつけ、根元を暗い茶色で塗って土を加えた。
ディオナは真剣に僕が描く様子を見つめていた。
木の周りに花や草も付け加え、ゴールデンロッド（アキノキリンソウ）の金色の穂をどこに描こうか考えて、クレヨンを顎に軽くトントンとつけた。
すると懐かしい香りがクレヨンからして、かつてサマンサと過ごした夏休みの暑い日の記憶が蘇った。
そして、どこからともなく自分の父性本能が目を覚ますのを感じて、いつか自分が父親になる可能性を考えた。
「ほら、かいでごらん。」
僕は側に生えているゴールデンロッドの穂を取ってディオナの顔の前に差し出した。
彼女は注意深く匂いをかいで、感じ取ったようにうなずいた。
「むらさきも使って。」
僕が金色のクレヨンで風に揺れる穂を描いていると、ディオナがアドバイスした。
「紫？紫のものなんて見えないけど？」
「あるわ、ほら！」
ディオナは湾の先を横切る林の列を指差した。
そうか。
海岸沿いに茂る林の先端が金色に色づいていて、そこに触れあう空が午後の太陽の光を受けて、薄い紫色に変化して見えていた。
澄んだ子供の目を通して見ると、自然は素晴らしいものだと改めて発見できる。
僕は思いもかけない発見に嬉しくなり、箱からスミレ色のクレヨンを取り出した。
「きれい。」
ディオナがつぶやいた。
彼女が描いた木の先端と、僕の描いた林の先端に触れる空の部分に薄くスミレ色を加えていると、寄りかかられていた身体の重みが増して、全体重で寄りかかられたようになった。
肩を動かさないようにそっと振り向くと、ディオナは眠って骨が無くなったようにぐんにゃりと僕に寄りかかっていた。
僕は腕の中に抱き取って、冷たい風やすべての悪い事からこの子を守るように、着ていたジャケットを脱いで上にかけた。
時が止まったようにゆっくり流れ、しばらくして後ろからスカリーがやって来た。
「Hey、一晩中ここにいるつもり？」
「シー・・・。」
僕は口元に指を立て、ディオナに顔を向けて気付かせた。
子供の身体とはいえあまりに長い時間支え続けていたから腰から下の感覚が無くなってしまっていたが、腕の中で無邪気に眠る子供を起こしたくなかった。
「モルダー、そっと部屋に運んであげましょう。あなたも子供の頃、外にいたはずなのに目が覚めたらベッドの中だったってことがあったでしょう？」
曖昧な記憶が頭の中をよぎった。
車に乗っていて眠ったとき。部屋で遊んでいて家具の横で眠ったとき。世界が突然夢の世界と交わった瞬間。
僕はジャケットにくるまれたディオナを貴重品のようにそっと持ち上げた。
彼女はスカリーが言った通りに目を覚まさず、何か寝言をつぶやいて夢の中にいるようだ。
スカリーはデッキの上に広がったスケッチブックとクレヨンを拾い集め、立ち上がった拍子によろめいた僕を支えて、三人一緒に家へ向かって歩き出した。
夢の中では、きっと家の中も外も金色のタンポポの花が咲き乱れていることだろう。
そして、笑い声と幸せな音がドアからこぼれ続けていることだろう。
一歩一歩歩くに連れ、屋根の上の空が深いブルーとスミレ色に変わっていき、宵の明星が銀色にまたたいて僕たちの帰り道を照らしていた。
シンプルだが、幸せな気持ちで満たされた。
END
