TITLE : A MAKESHIFT KISS

作：Jill Selby
訳：tomo

*この作品はFTFの廊下のシーンで、スカリーが蜂に刺された直後から救急車が到着するまでの間の、隠されたシーンを描いたお話です。

スカリーが蜂に刺されて急に倒れたとき、モルダーはこれこそ彼女最大のジョークなんじゃないかと思った。
だが彼女はめったにふざけたところを見せない。
この最悪のタイミングに、彼をかついだのでもない。

モルダーの心臓は凍りつき、時間も止まり、頭の中は真っ白になってパニックを起こしかけた。
しかしそれと同時に――恐怖が――パニックを押しやり、彼の心を支配しようとしていた。

まだパニックの方がいい。

恐怖がモルダーの心を支配することは、他のどんな感情に支配されるよりも男としてのプライドが許さなかった。

死への恐怖によってスカリーの瞳の力が弱くなり、のどを締め付け、その苦しげな表情は尖ったガラスのかけらのように彼の心を切り裂いた。

彼女は倒れる前に腕を彼に巻いてバランスを取ろうとしたが、その意思とは反対に全く力が入らないようだった。
宇宙一冷静で誇り高いダナ・スカリーが、初霜の降りた花のように弱々しくしおれそうになっている。

モルダーは汚れた廊下の上に彼女を横たえ、身体の下から腕を引き抜いたときに床の小さな砂粒が皮膚をこすり、痛みでわずかに感覚が蘇った。

頭の中ではさっきまでの彼女との会話が渦巻いていた。
だがわずかに蘇った感覚から思考も戻り、やっと今の状況を把握しはじめ、助けが来るまで彼女を廊下でなく、部屋の柔らかいベッドの上で休ませなければ、と自分に命令した。

もちろんモルダーはそうしていただろう。
だがそうする前に、スカリーの苦しそうな息づかいが耳に響き、とても今は動かせないことを悟った。

助けを！

はっきりした現実がモルダーをパニックから引き戻し、彼は部屋の電話へ駆け込んで911を押し、震える手で受話器を包みながら待った。
今廊下で倒れている女の息が止まった瞬間に、自分の世界も終わってしまう男からの助けを求める通報だとは夢にも知らないオペレーターが彼に応えた。

モルダーは廊下に走り戻った。
走らなければ、この安全な部屋を抜けて再び現実の恐怖に直面することができなかった。

恐怖。

倒れているスカリーの元へ戻る恐怖が彼を泣いている子供のように弱くさせ、足をガクガクと震えさせていた。

　　　彼女は僕を許さない。
　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　きっと僕を軽蔑するだろう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　彼女は死ぬのかも知れない。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　もしもう死んでいたら・・・。


このまま沸き上がる恐怖に支配されていたら、モルダーはそのまま足がすくんで部屋から出ることができなかったかも知れない。
だが恐怖以上に強い気持ちが強く後押しし、彼女の元に駆け寄らせた。

スカリーの側にひざまずくとすぐに、今の彼女の様子にハッとした。
もし状況が違かったら、今の光景はきっとエロチックに見えていたかも知れない。

乱れた服、上気した肌――。

およそパブリック・スペースにはふさわしくない光景だ。
しかし彼女の浅く早い息づかいが、決してそんな情熱的な状況ではないことを物語っている。
瞳は慰めと、安心させる言葉を求めるように見開かれ、この悪夢のような状況を訴えていた。

モルダーは救急車の到着を待ちながら、彼女の意識が保っていられるように何か話そうと考えていた。
蜂やウィルスや人類の未来以外のことなら何でもいい。
野球の事でも、天気の話しでも。

「スカリー、月曜のヤンキース戦は観たかい？」

よし。彼女は反応できるだろうか？

スカリーの意識は呼吸を続けることと、意識が遠のく事への抵抗に集中していたが、彼が絞り出した短絡的な言葉とパニックをたしなめて落ち着かせるように、じっと深く彼の瞳を見つめ返した。
だがモルダーは、魂の底から嵐のように泣き叫んでいる自分の声を消し去るのに必死になっていた。

　　　死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ―――。

口が裂けてもその言葉だけは言えなかった。
もしスカリーがその言葉を聞けば、今直面している危機が死に値するほどだと気付いてしまう。
何も気付かなければ弱気にならずに、生きて呼吸することを決してあきらめないでいてくれるだろう。

「モルダー？」

モルダーには彼を呼んだ言葉というよりも、どうしたのかと問うような言い方に聞こえ、罪の意識と共に気が付いた。
自分はずっと彼女のブラウスの一番上のボタンを――激しく上下に動く胸元を見つめていたのだった。

　　そんな風に見えてしまったんだろうか？
　　床から見上げると、そんな不安を煽るような目つきに見えてしまったんだろうか？
　　動けないパートナーを裸にしてしまうと見えたのか？
　　ああ、認めるよ。
　　僕はこれまで数え切れないほど彼女の鎧のようなスーツをはぎ取ることを夢に見ていた。
　　だが、決してこんな状況ではない。
　　決してこんな時では。

　　スカリー、分かっているだろう？

新たなパニックに襲われ、モルダーがたじろぎながら瞳を見つめると、スカリーは彼の指を握って自分の胸にそっと当てた。

それは、彼女が理解していることの確かな証だった。
おそらくモルダーの心を、彼自身よりも理解している証だったかもしれない。

まるで最も愛しいものを包むように彼女は彼の指を握り、その指先から彼女の心臓の鼓動と、呼吸するリズムが彼に伝わってきた。

　　クソ！

倒れている彼女の方が落ち着いていて、触れて安心させることで、ショックでからみついたモルダーの心の糸をほぐし、落ち着かせたのだ。

モルダーは涙がこみ上げてくるのを止められず、喉も焼けつくようにこわばって、それを飲み込むこともできなかった。
そして固まったのどからやっと絞り出した声は、いつものトーンと明らかに違ってしまった。

「スカリー、このウィルス・・・これが人工的に作り出されたものなら、必ず助かる方法があるから・・・。」

スカリーは無理に身体に力を入れ、震えながら手を伸ばして、彼の唇に指を置いて止めた。
彼女の指の感触はこんな時でも優しく甘い。

力が抜け、スカリーの腕がスルッと落ちかかるとモルダーはすばやく手首をつかんで頬に当てた。

彼女のメッセージははっきりしている。
だがモルダーは議論することで意識が保てるのではないかと思って聞き直した。

「この事は話さなくていいのかい？」

スカリーは首を振って答えた。


話のリストを使い果たし、モルダーはじっと救急車が来るのを待った。
きっとスカリーはこの静寂を望んでいたのかも知れない。

たぶん救急車の到着まで、後5分はかかるだろう。

「リラックスして、スカリー・・・。すぐ助けが来るから。」

彼女がまた首を振ったとき、モルダーには彼女が何を話してほしがっているかが分かった。
しかしそれを話そうとした瞬間に、恐ろしいほどの不安に殴りつけられ、混乱しながら逃げる言葉を探した。

「何を――。」

モルダーの声はまるで今にも切れそうなバイオリンの弦のように引きつっていた。
彼は咳払いをして、もう一度言い直した。

「僕に何を話してほしい？」

スカリーはもちろん言葉では答えられなかった。
しかし彼の唇に再び触れて指を動かしただけで、何を望んでいるか、答えをはっきりと伝えていた。
だがモルダーの心は不安に支配され、怯えきったように固まっていた。

「スカリー、さっきは悪かった。するべきじゃなかったんだ・・・忘れた方が・・・」

モルダーは彼女の表情は全て見て知っていると思っていた。

これまで無数の感情と表情を見続け、理解していると思っていた。
だが、たった今浮かんでいる表情を、彼は見たことがなかった。

安易にこの場から逃れるためについた嘘で、どれほど彼女が深く傷ついたかを、胸の痛みと共に分かった。

　　彼女も、自分も同じ一つのものを求めているのに。

スカリーが目をつぶり、胸に乗せて握っていた指を離そうとした時、彼は素早くつかんで握り返した。

「いや、違う。今のは嘘だ。僕は謝らないよ。」

自分の気持ちを認めた告白は、スカリーを驚かせなかった。
驚く必要など無い。
二人ともずっと分かっていて、それでも言いようのない不安から踏み入れずにいただけなのだから。
だが、もうモルダーはここから引き返すつもりは無かった。

「確かに突然だったけど、でも僕はずっとそうしたいと願ってたんだよ、スカリー。僕の無様さを笑ったっていいよ。全くひどい蜂だよ。でも、君にキスしようとしたことを悪かっただなんて思わない。チャンスがあれば、またキスするよ。」

ゆっくりと、本当にゆっくりとスカリーは瞼を上げ、彼の瞳を見つめた。
そして眉をわずかに上げて、唇を開いた。

「本当に？」

「本当だ。」

スカリーの唇は震え、たった一つの言葉を話すために力を振り絞っていた。
そして長い間の後、モルダーが死ぬまで忘れられない一言を、かすれた声でささやいた。

「それなら、今。」

　　スカリー。

どれほど彼女の願いに答えたいだろう。
　　
　　今すぐ。
　　今すぐに。

甘く、天国のようなキス。
記憶の中の宝物。
さよならの美しい挨拶。

　　さよならのキス？

　　いや、違う。絶対に彼女にそんなキスはできない。

モルダーは彼女の手を顔に引き寄せ、指先の一つ一つにキスを落とした。
キスした瞬間に右手の中に包まれているスカリーの手から、心臓が一瞬大きく鼓動したのを感じた。
だが本当は、自分自身の鼓動の振動だったのかも知れない。

「今じゃない。」
モルダーはそっと彼女の手を下ろした。
「君が良くなった時だ。」

スカリーが何か答えようとしたが、今度はモルダーが彼女の唇に指を置いて止めた。

「心配ないよ、スカリー。すぐに良くなる。そうしたら・・・。」
モルダーは指で彼女の唇のラインをなぞった。

「ここにキスする。」

そして彼女の頬に落ちた涙の証拠を消すように、手のひらで頬をゆっくり撫でた。

「ここにも。」

髪の生え際から、耳にかけて指で優美なトレースを描いた。

「そしてここにも。」

いつの間にか到着した救急車のサイレンの音と、彼のささやき声が悲しげな不協和音を奏でていた。

モルダーはスカリーの意識が無くなっても、救急隊員が運ぼうとして引き離そうとしても離れずに彼女を見つめ、指で触れ続けながらキスの約束を胸に刻みつけた。






End of "A makeshift kiss".

あの廊下の短いシーンでは、こんな二人のシーンが隠されていたのではないでしょうか(^^)
私はFICを読んだ後、この後どうなったんだろうと気になって、その続編に考えられるようなFICを探すことがよくあります。
この作品もそうでして、繋がるような作品が無いかといろいろ探して読んじゃいました。
作者さんによって捉え方が違うのも面白かったです♪

また頑張りますので、その時もよろしくおつきあい下さいませね。



tomo