Title : Perception
of Snow
作：Mojo
訳：tomo
*この作品はシーズン6の「トライアングル」から数週間後の二人という設定です。
*18歳未満の方は、ご遠慮くださいませ。
ランバート空港の真ん中のモニターを見上げると、そこには私が乗るはずだったワシントンD.C.行きのフライトがキャンセルになった文字が、無情にも映っていた。
東海岸は広い範囲で雪と氷の低気圧に覆われているようで、デルタ航空だけでなく、全ての航空機がフライトをキャンセルしてしまっていた。
だからどんなに私がモニターをじっと見つめていても、この“キャンセル”という文字は何も変わるわけはないのだが。
母の手料理のことを思い出さずにいられない。
母の焼くパンケーキとマフィンの香りで目覚める朝。サンタクロースからのプレゼントにはしゃぎ回る甥と姪の笑い声。その後みんなで行く教会の礼拝堂のひんやりとした空気。
そんなスカリー家の伝統的なクリスマスを、もう今年は一緒にすごすことができない。
そう思った瞬間、モルダーのことを思い出した。
たった一時間前に彼と交わした、さよならの挨拶のキス。
彼の唇が私の唇に重なったときのあの感触を。
〈メリー・クリスマス、ダナ・スカリー。〉
私はホールを降りて、モルダーが乗ったはずのコネチカット行きのフライト情報がのっているモニターを捜した。
彼はユダヤ教の母親とハヌッカ祭をすごすために、今年になって初めて彼女の家に向かったはずだった。
彼が乗ったフライトナンバーはわからない。
ただ私に分かっているのは、彼はすでにここから発って、もう一週間は会えない、ということだ。
最後に彼といたのはたった一時間前、下のバゲージ・クレームの前でモルダーが捜査に借りていたレンタカーを返しているのを待っているときだった。
このセント・ルイスでの事件はX-ファイルとは関係のない、逃亡中の連続強姦魔の事件だったが、モルダーは地元の捜査官達に、次にどこに逃亡するかをプロファイルしてアドバイスする任務をカーシュに与えられ、そのせいでオーバーワークをして疲れがたまっていた。
しかもクリスマス・イヴまで二人とも仕事が続き、そのせいで私は雪のセント・ルイスの空港で足止めをくらい、もうクリスマスに自宅に帰ることさえできなくなってしまったのだ。
〈雪なんて見たくもないわ。〉
彼のフライトは私のよりも早く、反対側のターミナルから出発したようだった。
私はモルダーに伝えたい事を言えないまま彼を行かせてしまったと思うと、急に胸に痛みが走った。
彼に、このクリスマス休暇の前に、どうしても伝えたいことがあったのに。
せめて新年を迎える前に。
さっき私はバゲージ・クレームの前で、舌で唇をぬらして口を開け、まさにその事を話そうとしたその時に、頭上で彼のフライトの最終搭乗を知らせるアナウンスが鳴り響いた。
彼は申し訳なさそうな顔を私に向けた。
「ごめん、もう行かないと。」
彼は私の背中に腕を回して優しく抱きしめた。
「そ・・・そうね。楽しんで来てね。」
私は軽いパニックを起こしながら、これから彼と一週間は会えないことを思いだした。
私も彼にハグを返したかったけれど、彼の両手が荷物でふさがれていたので頬にキスしようとして背伸びした。
すると突然彼が私に顔を近づけ、気が付くと私は彼の唇にキスをしていた。
予想もしてなかった突然のキスに、どれだけ時間がたったのだろう。
モルダーの唇はあたたかくて、彼の息が肌に直接かかり、ひまわりの種とコーヒーの味が敏感に舌に伝わった。
そして、キスは始まりと同じくらいに突然終わった。
彼はそっと唇を離して微笑んだ。
「ごめん、スカリー。」
「ごめん？」
私はまだキスの感触に酔ったまま聞き返した。
モルダーは上を見上げて微笑んだ。
「ヤドリギの下だよ。」
彼につられて上を見上げると、誰が付けたのか、天井からかわいらしいヤドリギがリボンを付けられてつり下げられていた。
「着いたら連絡するよ。」
モルダーはそう言って微笑み、クルッと背を向けて歩き出した。
私は彼が歩いていく姿を見守り続け、後ろ姿がターミナルに続くエスカレーターで見えなくなるまで見守り続けた。
後ろ姿が見えなくなってしまうと、私は彼を追いかけて走り出したい気持ちに襲われたが、我慢して踏みとどまり、その場に凍りついたように立ちつくしていた――。
私は頭を振って思い出を追い出しながらチケット・カウンターに向かった。
人生に何が起こるかは全く予想できない。
最近の私達もそうだ。
X-ファイルを失い、カーシュの下で働かされている。
そして4週間前、モルダーは私に「愛してる」と言ったのだ。
キスを思い出しながら、私は自分の唇に触れてみた。セント・ルイスの寒さですっかり荒れてしまっている。
私達を除いて、これまであまりにたくさんのことが変わって行った。
だけど私達はずっと変わらず一緒にいて、まだ謎の中から答えを探し続けている。
私達の人生は、一つのことが終わらない内にまた次のことがすぐに来て止まることがない。
〈でも、もしできるなら・・・。〉
私はデルタ航空のチケット・カウンターの前で20分も列に並び、キャンセルになったフライトを別のフライトに振り替える手続きをとった。
便は一番早いもので明日の夜。しかも天候が回復すればの条件付きだ。
それまでの間、航空会社は足止めの変わりにダウンタウンのホテルを一泊分サービスしてくれた。
なんてご親切に。
知らないホテルの部屋で、たった一人でクリスマス・イヴを過ごすだなんて。
私は荷物を持ってタクシーを探すために、空港の出口に向かって歩きだした。
ランバート空港は飛行機をキャンセルされた客達で混み合い、人ごみにもまれながら出口にたどり着こうとした。
〈ホテルに着いたら、母に今夜はもう帰れないことを電話しなくては――。〉
「スカリー！」
〈誰か私を呼んだ？それとも空耳かしら。私の名前に似てる人を誰かが呼んだのかもしれない。〉
「スカリー！」
私は足を止めて人ごみの中を見渡した。
「スカリー！ここだ！」
その声は空港の奥まった所にあるバーからだった。
〈モルダー。〉
彼はバーの椅子に座って、まるでバカみたいに大きく私に手を振っていた。
私は人ごみをバーの方に抜けながら、彼の顔を見たら急に不思議と肩から力が抜けて安心したのを感じた。
「スカリー、フライトに乗れなかったのかい？」
モルダーはグラスに残った最後のアルコールを飲み干した。
「あなたは？」
私は答えながら彼の隣の椅子に腰掛けた。
「キャンセルになった。」
彼は空になったグラスをカツンとカウンターに置いた。
離れてからたった一時間しかたっていないのに、もうずっと会っていなかった様に懐かしい。
モルダーは別れたときとは違う様子だった。彼ははずしたネクタイを丸めてコートのポケットに突っ込んでいて、髪はぐしゃぐしゃ、あごや頬にはうっすらとヒゲが生えかかってきていた。
そして彼の息の匂いから、のグラスが最初の一杯目でないことも分かった。
「私もよ。今夜は泊まることになったわ。」
私は答えながら彼の置いたグラスを持ち上げた。
〈間違いなく強いお酒を飲んでたわね。〉
バーテンダーが近づいてきたが、私は首を振って答えた。
今はアルコールは欲しくない。
「ああ。」
モルダーはニヤリと笑った。
「じゃあ僕の願いは聞き入れられなかったんだな。せめて君だけは無事に家についてほしいと願っていたんだが・・・。」
「チケットの手続きはしたの？」
「あ？いや、まだここにあるよ。」
モルダーは胸ポケットを叩いた。
「僕のフライトがキャンセルになったのを見てここに来たんだ。」
彼は私をじっと見つめ、改まったように口を開いた。
「それで、君はどこに泊まるんだい？」
私はさっき渡されたホテル・チケットを出して、記載されているホテルの名前を読み上げた。
「“マリオット・ダウンタウン”よ。」
「ダウンタウン？」
モルダーが驚きながら聞き返した。
「ここからかなり遠いじゃないか。しかも、この雪だぞ？」
彼の言葉は不吉な予感がした。
それがアルコールの酔いから来たことなのか、何か企んでいるからだったのかは分からなかったが。
「モルダー、あなたも早くチケットを交換してきた方がいいんじゃないの？私は明日の夜までここにいることになったけど。」
「そうだね。でもラッキーなことに、君がここにいて、僕もここにいる。それならスカリー、一緒にクリスマス・イヴを過ごさないか？」
モルダーは注意深く、あたかも私の反応を伺っているような表情で言った。
今私達はオフの時間だ。
例え何が起こっても・・・誰にも文句を言われる筋合いはないだろう。
私は手を伸ばして彼の腕に触れた。
「一人でクリスマスを過ごしたくないわ。」
モルダーは私の手に手を重ねて、親指で円を描くように手の甲を撫でた。
私は彼に触れられて、手から顔まで一瞬で赤くなるのが自分でもはっきりと分かった。
バーの暗い照明で彼に見えていなければいいが。
彼は私にかがみ込み、優しく、そして強いまなざしを私に向けてつぶやいた。
「僕もだ。」
***
なんとかモルダーがタクシーをつかまえてくれた。
雪はさらに激しく降り続き、道に3センチ以上も積もりかかっている。
モルダーの顔も、指も寒さで赤くなってしまっていた。彼は手袋を忘れてきていたのだ。
ミトンの手袋をした私は彼の凍えた手を取って、あたためるようにさすってあげた。
去年のクリスマスにママがくれたプレゼントが、今年はこんな風に役に立っている。
ランバート空港からセント・ルイスのダウンタウンまで一時間以上もかかった。
高速道路はまだ使える状態だったが、それでも道の脇の雪がますます降り積もり、私達のドライバーは何回かスリップしかけ、モルダーと私は後部座席でハラハラしっぱなしだった。
それでも彼は私達をダウンタウンの中央に無事に近づけたようだ。
街はいたるところに美しいクリスマスの電飾が施されていて、暗い夜に、まるで大きな星を散らしたように光を瞬かせ、建物を照らし出していた。
私は白く曇ったタクシーの窓を手で拭いて、外の美しい景色に見とれて雪のことを忘れようとした。
でも雪はイルミネーションの明かりに照らされながらひどく降り続いていて、あまりのひどい降りように、私は外の景色が美しさと同時に怖くも感じてきていた。
「D.C.と変わらないだろ？」
モルダーの顔がいつの間にかすぐ近くにあって、彼も外を見ながらつぶやいた。
もうすっかり慣れてはいるが、モルダーはどんな時にもすぐ私のプライベートな範囲を破って、すぐそばにいる。
いつも私のすぐそばに立っていて背中に手を当てたり、肩を抱いたりして私に触れようとしているのを私も分かっている。
いつも私を気に掛けていて、話すときは必ずあの瞳で私を見つめるのだ。
私は彼のそんな存在感に慣れすぎていて、彼がいなくなる時があると、私はの周りの空気がぽっかりと空いて、急にバランスが取れなくなったような気分になった。
「Hey、あれはマーク・マグワイヤが62番目のホームランを打ったスタジアムだぞ。」
モルダーは数ブロック先のスタジアムを指差した。
そこはグリーンやホワイトの照明を暗い夜空に向かって灯して姿を浮かび上がらせ、まるでこの世の物ではないような幻想的な雰囲気をかもし出していた。
「スカリー。」
モルダーは私の右耳にほとんど唇が付きそうなほどのそばでささやいた。
「何？」
私は唇に気を取られていることを悟られないように、スタジアムの方を見つめながら聞き返した。
「今年は、去年よりずっといいクリスマスにすることを決めたよ。」
彼がそう言っただけで、去年のクリスマスを思い出すのに十分だった。
エミリーのことを。
マリオットはスタジアムのそばにあった。
運転手はホテルのエントランス前で車を停め、モルダーが先に降りて、私が氷で足をすべらせないように腕を持って支えてくれた。
私は雪用のブーツは持ってきておらず、ただのパンプスを履いていたから、雪にも、寒さにも全く無力だった。
モルダーは二人分のスーツケースを持つと、私を促しながらエントランスの中に入った。
マリオットは思っていたより綺麗なホテルだった。これまでモルダーと私が泊まってきたような所とは比べ物にならない程立派なホテルだ。
パートナーを組んでからの6年間、X-ファイルの仕事は私達を全米中、そしてカナダやロシアにまで行かせ、それぞれただ夜を過ごすためだけのような場所に泊まってきた。
いつかモルダーに、パリでX-ファイルな事件が起これば、私達はフランスにまで行くことができるのに、と笑って話したことさえある。
「マリオット・ダウンタウンへようこそ。」
フロントの女性係員がにこやかな笑顔で迎えてくれた。
「ご予約はありますか？」
「航空会社がしてるわ。飛行機がキャンセルになったから。」
私はさっきのホテル・チケットを取り出して見せた。
「はい。本日はそうしたお客様が多くいらっしゃっております。」
係員は私からチケットを受け取るとコンピューターに入力した。
「お部屋を朝食付きのお二人用のスイートルームに変更できますが、いかがですか？見晴らしの良いバルコニーも付いております。」
モルダーがクスッと笑う声が聞こえた。
良くあることだけれど、みんな私とモルダーをカップルだと思うらしい。
「いや、部屋は別々でいいんだ。」
モルダーはそう言ってウィンクをし、意味ありげにニヤッと笑って見せた。
「ちょっとケンカしてね・・・」
「モルダー。」
「分かってるよ、スカリー。でも静かにいい子にしてないと今夜サンタに来てもらえないぞ。」
モルダーは財布を取り出して、中からクレジットカードを出してカウンターに置いた。
「それとも悪い子にしてるかい？」
「モルダー、あなたはもう十分に悪い子よ。」
フロント係の女の子は必死に笑わないように我慢していた。
「では、お二人様ともご一泊でよろしいですか？」
「ええ、もし飛行機が明日飛べばだけど。」
フロント係はコンピューターでレシートをプリントアウトして、部屋のキーを並べながら言った。
「お待たせいたしました。お部屋は768号室と1294号室をお使い下さいませ。エレベーターはそちらの角の脇にございます。ごゆっくりおくつろぎ下さいませ。」
「ありがとう。」
私は渡された紙とキーをポケットに入れてエレベーターに向かった。
「スカリー、一時間後に一緒に夕食にしないか？8時にでも・・・。たぶんここにはいいレストランも入ってるみたいだし。そりゃ君のママの料理ほどうまいってわけにはいかないだろうけど・・・。」
モルダーは申し訳なさそうに言った。
確かに、彼の捜査が遅くなってスケジュールが押さなければ、もっと早くD.C.行きの飛行機に乗ることもできていたかもしれない。
「いいわよ、モルダー。」
彼から荷物を受け取ろうとした時、私達の指が一瞬触れ合った。
「じゃあ、8時に。」
***
〈部屋をグレードアップしてもらって良かった。〉
私の部屋は壁だらけの“いかにもホテルの部屋”というよりも、まるで快適なリビングルームのようだった。
大きなカウチや趣味の良い家具、おまけに大きなジャクジーバスも付いていた。
私は急いで蛇口をひねってお湯を出し、バスタブにためている間に部屋に戻ってベッドに腰を下ろした。
履いているパンプスが雪のためにすっかり濡れて冷たくなっていて、さっそく脱いでヒーターの上に置いて乾かす事にした。
着ていたスーツも脱ぎ、服を入れているバッグをかき回して着ていく服を探した。
ハッと気が付いてバスルームに戻ると、お湯がちょうどたまって温かいスチームが上がっていた。
バスタブの中に入って手足を伸ばし、ボタンを押して、熱いお湯のジェットが冷えた肌をマッサージしてあたためていく感触を目を閉じて楽しんだ。
家から持ってきていたバニラの香りのボディソープをお湯の中にたらすと、甘い香りと豊かな泡で包み込まれて、よりリラックスしていった。
自分一人には大きすぎるバスタブに横になりながら彼を思った。
〈もしここにモルダーもいて、一緒に泡に包まれていたらどんなにいいだろう・・・。きっと彼は優しく微笑み返してくれて・・・。〉
急に想像していたイメージが消え去り、その代わりに南極で、二人で雪の上に横たわっていた時のことを思い出した。
あの時私達は誰もいない、見渡す限りの雪と氷の平原の中に二人きり取り残されていた。
彼は気絶してしまっていた。二人ともこのまま凍死してしまうんじゃないかと思った。
彼は私を助けに来たために凍死しかかってしまっていたのだ。
私は必死になって雪の中をもがきながら、彼の体を腕の中に抱いてあたためようとした。
ほとんど自分の手の感覚も、足も、顔の感覚も感じられなかった。けれど彼の体をしっかり抱きしめて、あるだけの体温を彼に与えようとして抱きしめ続けた。
そして体を揺らしながら彼を呼び続け、彼の名前を、そして決して死なないで、と、私を残していかないで、と言い続けた。
あの時神に、彼の命を助けてくれるなら何でもする、と祈り続けた。
ゾッとするほどの寒気が体中に走り、鳥肌を立てて、やっと今いる場所に気持ちが戻った。
バスタブのお湯がすっかり冷めてぬるくなってしまっている。
端に置いてある時計を見ると、もう7：30を指している。どうやらバスタブの中で15分くらい眠ってしまっていたらしい。
急いでバスタブから立ち上がり、厚いタオルを体に巻いて部屋に戻った。
そして電話の受話器をあげ、ベッドに座って番号を押した。
「もしもし。」
「ママ？ダナよ。」
「ダナ！遅いから空港に電話したのよ。そうしたら飛行機がみんな雪でキャンセルになったそうじゃない今どこにいるの？」
「まだセント・ルイスにいるのよ。ここもひどい雪よ。でも明日の夜には帰れるかもしれないわ。」
母は安心してため息を付いた。
「よかった、あなたの無事な声が聞けてよかったわ。フォックスも一緒なの？」
モルダーをファーストネームで呼ぶのを聞いて、苦笑せずにいられなかった。
〈フォックスじゃないのよ、ママ。モルダーよ。〉
「一緒なのね？それなら安心だわ。」
母の声の後ろで甥や姪達のはしゃぐ声が聞こえていた。
「会えないのは寂しいわね、ダナ。でも週末は一緒に過ごせるんでしょう？みんなプレゼントを持ってあなたを待ってるわよ。それにもしフォックスも予定がなかったら連れてきなさい。ベッドの数はあるんだから。」
「わかったわ。」
受話器を肩と耳の間に挟みながら答えた。
母はいつも私を理解してくれている。仕事も、それに伴う危険も。
他の家族がこれまで私に起こったことでモルダーを非難していても、母だけは親身になって受け入れてくれている。
「愛してるわ、ママ。」
「私も愛してるわ、ダナ。いつもあなたとフォックスの事を考えてるわ。二人とも楽しいイヴを過ごしてね。」
「明日また電話するわ。おやすみなさい、ママ。」
「おやすみなさい、sweetheart.」
受話器をゆっくりと置いて、気持ちを落ち着けた。
荷物を開け、今持っている服を見直した。
服はみんなスーツで、しかもスーツケースに詰め込んだせいでしわくちゃになってしまって、何もディナーに着ていけるような服はないように見えた。
モルダーのために綺麗にしていきたかったのに。
しかし、持っているスーツの内の一つがツーピースのアンサンブルになっているのに気が付いた。
深いモスグリーンのタンクトップ型のドレスとジャケットの組み合わせだ。
タンクトップ型のドレスを着て何かアクセサリーを付ければ、ひょっとしたらこれで行けるかもしれない。
私は髪を乾かして、いつもより念入りにセットしてカールも巻いた。そしていつもより華やかめにメイクもして、シャドウもつけた。
モルダーはまっ赤なリップをつけた私を見たことがないだろう。
小さなポインセチアの花型のイヤリングと、いつものクロスのネックレス。そして残り最後のストッキングをはいて、注意深く乾きたてのパンプスを履いて、準備はすっかり整った。
彼に今の私が予想できるかしら。
***
ロビーにモルダーが立っているのを見て一瞬心臓が止まった。彼の姿なんて数え切れないほど見ているはずなのに、今日はどこか感じが違う。
背の高い彼のシルエットを完璧に描き出す、ピンストライプのダークスーツ。
そこに彼にしてはプレーンな、クラシックなタイプのストライプのタイを合わせてしめていた。いつもの彼だったら、想像できないほど派手な柄のネクタイをしているはずなのに。
彼は私に気が付くと、私が少しいつもと違うことに驚いたように口を開けて、目を見開いた。
「モルダー。待った？」
「失礼、美しいMiss・・・。僕は別の人を待ってるんだ。」
彼はウィンクして答えた。
「あら、誰？」
「僕のパートナーだ。彼女は君と同じ位の背で、黒いパンツスーツにFBIバッジを持ってて・・・いつもホルムアルデヒドの香りを付けてるんだよ。」
彼はふざけながら、私の全身をゆっくりと見つめていた。まるで本当に私かどうかを確かめているかのように。
〈そんなにいつもの私と違うというのかしら？〉
「そうなの。じゃあ、もしその彼女を見かけたら、あなたがロビーで待ってることを伝えておいてあげるわね。」
私も彼を見つめ返しながら答えた。
私達はしばらくの間何も言わずに見つめ合っていた。
彼の視線にさらされている間、肌が急激に熱くなってくるのを感じた。
「テーブルは予約したよ。」
ついにモルダーが口を開いた。
彼は手を伸ばしてそっと私に触れ、いつものように背中に手を置いて私をレストランの方へ導き、ウェイターに微笑みかけた。
「もちろん禁煙席だ。」
モルダーは椅子を引いて私を座らせると、私のむきだしの肩に指先で触れながら、顔を近づけてささやいた。
「綺麗だよ、スカリー。」
彼の声はいつものふざけた様子が少しもなくて、誠実で、驚くほど真面目なトーンだった。
「ありがとう。」
彼が向かい側に座ると私もそっと返事をした。
向かい側と言っても、そこはとても小さなテーブルで、ささやき声だけで聞こえ合えるほどの距離しかない。
テーブルにはすでに冷えたワインがグラスと共に置いてあった。
「ワインを頼んだの？モルダー。」
彼はまたいつもの笑いを浮かべて答えた。
ワインクーラーからボトルを持ち上げてみると、それは高価なビンテージ・ワインだと分かった。
「カーシュにどうやってこの分の経費を納得させるのかしら？」
「クリスマス・イヴだぞ？スカリー。カーシュの名前を聞くのはこれが最後だと思いたいね。」
ウェイターがやってきてワインの栓を開け、まず私のグラスに、そしてモルダーのグラスにワインを注いだ。
モルダーはまず私に一口飲むように勧めたので、一口含んで味わい、そのおいしさに微笑んだ。
ワインはリッチで香りが深く、たった一口でも体の内側に熱い火がついたようだった。
「どう？気に入った？」
モルダーは私をずっと見つめながら反応を伺っていた。
「とてもおいしいわ。」
私は見つめられていることで顔が赤くなり、それを隠すようにもう一口飲んだ。
もちろん、彼はその間も目を離さなかった。
モルダーがワインのことを知ってるだなんて。
彼の頭の中に、私のワインの好みまで記憶されているのだろうか。
私達は料理が届くまでの間にボトルの半分まで飲んでしまい、軽く酔っていつもより陽気な気分だった。
モルダーがメニューの中で一番高い料理をオーダーしろ、と言うので、私はウェリントン風のシーフードをオーダーして、彼は最高級のリブステーキをオーダーした。
私とモルダーは出会ってからどれだけの食事を共にしてきただろう。
車の中でファーストフードを食べることからダイナーでの食事、そして国中のホテルの素敵なレストランまで、あらゆる場所でいろんな食事を一緒にしてきた。
でも今日だけは、これまでのどんな食事とも違う空気が私達の間を流れていた。
〈なぜ？〉
「母に電話したわ。」
私は膝の上にナプキンを広げながら話しかけた。
「飛行機がキャンセルになって心配してたみたい。声を聞いて安心したみたいだったわ。あなたはお母様に電話した？」
モルダーは私の言葉を避けるように自分の皿に視線を落とした。
「え？ああ。」
「きっと楽しみにしてたでしょうに、がっかりしてたでしょう？もうずっと一緒にクリスマスを過ごしてなかったのに。」
「ああ。でもモルダー家ではサマンサの件以来ずっと“楽しい”行事は無かったからね。それに離婚した後では・・・まあ、そういうこととは全く関わり合いが無くなってたんだ。別に慣れてるよ。」
彼はそう言ってステーキを切りだした。
「でも一緒に過ごす約束だったんでしょう？」
私は注意深く彼の様子を見た。
〈何か飛行機がキャンセルになったこと以上に、行けない理由があったのかしら。〉
モルダーは大きく息を吐き、椅子に深く座り直した。その拍子に手に持っていた銀のフォークとナイフが皿に当たって、まるで落としたときのように大きな音を立てた。
「スカリー、君には正直に話すよ。僕は母と一緒に過ごすつもりは最初からなかったんだ。以前一緒に感謝祭を過ごそうとしたときがあったんけど、うまくいかなかったし・・・。一人で過ごすことは慣れてるから。」
「モルダー。」
私は小さなテーブル越しに手を伸ばして彼の手に重ねた。
「それならそうと言ってくれて良かったのに、モルダー。それに家で一緒に――。」）
「きっと君はそう言うだろうと思ってた。でも僕は君の家族に気を使われてスカリー家のクリスマスを邪魔しに行くこともしたくなかったんだよ。」
彼は私が言い終わらないうちに、鋭く、指を組みながら言い放った。
彼の声がこんな苦い響きになるときは、いつも彼の心が守りに入った時だと分かっていた。
モルダーはいつもそうして人を自分から遠ざけてきたのだ。でも、私はそんな声で遠ざけられるほど浅いつきあいなんかではない。
彼の心は誰よりも良く知っている。
「モルダー、本当にそうしたいと思っているのよ。家に電話したときも、母は週末にあなたを招きたいって言ってたわ。」
「あのビルも僕に会いたいって言ってたんだろう？」
彼は皮肉な笑みを浮かべた。
「ビルは仕事で週末にはいないわ。母はあなたを心配してるのよ、モルダー。あなたは私のパートナーで、私をいつも守っているわ。」
私は息をゆっくり吐きながら話した。
「スカリー、僕にそうするのを義務みたいに思わないでくれ――」
「そんな風に思ってないわ、モルダー。私はただクリスマスをあなたと過ごしたいと思っていたのよ。でもだからといってあなたの家族や決まってる予定を変えてほしくなかったのよ。」
私は言いながら、私の言っている言葉が間違いなく彼に届いてくれていることを祈った。
モルダーはギュッと目をつぶり、ゆっくり首を振った。そして体を私の方に寄せて、両手で私の手を包んでつぶやいた。
「ごめんよ、スカリー。」
「いいのよ、もう許してるから。」
私は微笑みながら答え、わざと真剣な顔をした。
「今回はね。」
「待ってくれ、確かフロヒキーからもクリスマスの招待を受けていたっけな・・・。それも楽しみだったけど。」
彼はおどけた表情になった。
「本当に？何の計画だったの？」
「Y2Kのどさくさにまぎれて政府のコンピューターにハッキングするんだ。」
モルダーはニヤッと笑って答えた。
「フーン、それじゃあなたが食べてるこのディナーのことを、彼に教えてあげようかしら。」
私はお皿に残ったシュリンプをほおばった。
「かわいそうだろう、スカリー。もし僕と君が一緒にクリスマスを過ごしてるのを奴が知ったら何て言うか・・・。このシチュエーションは奴の103番目の“スカリー・ファンタジー”なんだから。」
私はナプキンで口を隠しながら大笑いした。
「他の102個のスカリー・ファンタジーはどんなことなの？」
「いや、聞かない方がいいな、スカリー。」
私達は素晴らしいディナーを食べながら、ガンメンや他のおかしいキャラクター達を思い出してしゃべり合い、あのおかしなヤッピーやエイリアンのことまでジョークを交えながら話して笑い合った。
ウェイターがテーブルの上の皿を下げながら私達に言った。
「お客様、お食事の後にデザートはいかがですか？今夜は“Death by Chocolate”をご用意しております。フレッシュストロベリーとチェリーのリキュール酒のきいたチョコレート・ケーキです。」
「スカリー、食べるかい？」
「ええ、今日はいくらでも食べちゃいそうよ。」
「一皿くれ。フォークを2本付けて。」
モルダーはまるで私達が仲のいいカップルだということを見せつけるように、ウェイターにうなずきながら注文した。
ウェイターは大きな三角形のお皿に、2色のチョコレートソースとフルーツで美しく周りをデコレーションした贅沢なケーキを運んできた。一皿だけの注文で、二人に丁度良い量だった。
モルダーがケーキを小さく切るのを見て自分用に切っているのかと思ったが、彼は小さく切ったケーキをフォークで刺すと微笑みながら私の唇の前に向け、私が口を開くのを待った。
「どんな味か教えてくれ。」
私は彼を見つめたまま口を開けて、ケーキを口に入れた。
ケーキはママの手作りのブラウニーのような濃厚な味で、でももっとリキュールがきいていてリッチな味わいだった。
私は口に広がった風味に微笑み、私を見つめているモルダーにも微笑んだ。
「リッチだわ。」
「ふーん？」
モルダーは考え深げにうなずいた。
そして彼は私の唇の端についたチョコレートソースを指で拭い、そのまま自分の口に入れた。
「リッチだ。」
心臓の鼓動が一気に高鳴った。
私は彼と同じようにケーキを切り、自分の口に入れる振りをして、そのまま彼にフォークを持たせた。
「僕を挑発してるのかい？」
彼はクスクス笑いながら私を見つめた。
「“Death by Chocolate”の意味って何なのかしら？誰かこのデザートのせいで死んだのかしら。」
私は彼がフォークを口に入れて、指でもてあそぶようにしている仕草から気をそらせるように、ケーキを見ながらつぶやいた。
「僕にはよくわかるよ。」
彼は微笑みながら、二切れ目のケーキを私の唇に近づけながらささやいた。
***
ディナーを終えると、私達はホテルの中をあちこちと散歩して歩いた。
その間中、モルダーは私の手を優しく握っていた。
バーの中をのぞき込むと客の気配はなくて、バーテンダーと、まだ学生のように若い一人のピアノ弾きしか居なかった。
彼は“Merry Christmas,Baby”を、クリスマスイヴの夜にこのホテルに引き留められた客達のために、静かに弾いてあげていた。
「ちょっと待ってて。」
モルダーはそう言って私の手を離すと、バーテンダーとピアノの方へ近づいた。
そしてピアノ弾きの子に何かささやきかけ、二人とも振り向いて私の方を見た。
〈一体何を言ってるのかしら。〉
モルダーは素早くチップをその子に渡し、微笑みながら私の方に戻って来た。
「いくらあの子に払ったの？モルダー。」
私は腕を組んで眉を上げながら彼を見上げた。
モルダーは私の質問を聞き流して、答えの変わりに私を腕の中に包み込んだ。
「彼は君の好きな曲を何でも演奏してくれるそうだよ。君が聞きたいだけ、ずっと。」
ピアノ弾きの男の子は私達が踊りやすいように、クリスマスの代表的な曲を弾き始め、驚いたことに曲に合わせて歌い出した。
それは柔らかいピアノの音色と絶妙なムードを醸しだし、美しい音色になってバーの空気を染めた。
ダンスなんて、一体誰が考え出したことなのだろう。こんな素敵な発明は世界中を探したってそうない。
人が見ている前で好きな人を限りなくそばまで抱き寄せることができ、たまらなく幸せな気分にしてくれる。
モルダーの片手は私のウェストを回り、もう一方の手で私の手を包み込んで、ゆっくりステップを踏み始めた。
“...make the Yuletide gay...from now on, our troubles will be miles away...”
私はモルダーが一人でこのクリスマスをすごしていたことを思い出し、今年彼が一人でなく、私と過ごしてくれたことに、そっと彼の耳元に“ありがとう”、とささやいた。
あんなに嫌だと思っていた雪が、私達にこんな時間を与えてくれた。
“...and have yourself ... a merry little Christmas...now...”
甘すぎる音楽に酔ったのかもしれない。それともワインとダンスのせいかもしれない。
私は突然強すぎるほどの幸せな気分がこみ上げてきて目まいがした。
モルダーから手を離し、一歩下がって彼に悪戯っぽく微笑みかけ、振り向いて男の子に声を掛けた。
「“Joy to the World”が聞きたいわ。」
モルダーは私を見つめ、プッと吹き出して“了解”と言うように笑った。
「あなたがどんな曲でもいいって言ったのよ、モルダー。」
男の子は弾むようにキーを叩いて陽気に曲を歌い始めた。
“Jeremiah was a bull frog, was a good friend of mine, I never understood a single word he said and I helped him drink his wine.”
「ほら、モルダー！この間は私が歌ってあげたんだから、今度はあなたが歌う番よ。」
腕の中で楽しそうに私をクルクルとまわしている彼に笑いかけた。
“Singin' joy to the world, all the boys and girls, joy to the fishes in the deep blue sea, joy to you and me.”
モルダーが照れながら、ピアノの音に合わせて優しく歌った。
私はまた笑った。次は私が歌う番だ。
“If I were the king of the world, I'd tell you what I'd throw away the cars and the bars and the wars and make sweet love to you,”
あの森ですごした夜、モルダーに歌ってあげたときは我ながらとてもうまいとは思えなかった。
〈今度はうまく歌えたかしら？〉
「Oooh、スカリー、最高だよ。」
私にぴったりと体を付けたまま彼は前後に揺れながらささやきかけた。
“Joy to the world all the boys and girls, joy to the fishes in the deep blue sea joy to you and me,”
ピアノ弾きの男の子が私達に向かって微笑みながら歌ってくれた。
「次はモルダー、あなたが歌って。」
“You know I love the ladies, love to have my fun, I'm a hot night rider in a rainbow flyer and a straight shootin' son of a gun,”
モルダーは低く、セクシーな声で歌った。私だけに向かって。
私は彼の首に腕を巻き、体を預けて胸に寄り添った。
“Joy to the world, all the boys and girls, joy to the fishes in the deep blue sea, joy to you and me...”
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