TITLE : Dance Without Sleeping

作：Lydia Bower
訳：tomo

注：この作品は「メメント・モリ」でガンの宣告を受け、その後のエピで全快するまでの間、
スカリーがどうやって強く生きていくことを決心したのか、そして、どうやってモルダーが
彼女を支えたのかを描いた物語です。

*この作品はシーズン4「メメント・モリ」のスポイラーficです。
*作品には出血シーンが含まれています。
*この作品は18歳以下の方はお読みになれません。
*どうか以上のことをご了承の上お進み下さいませ。また、長めの作品ですので、できれば
お時間のあるときにゆっくりお読みいただけたらと思います。

Dance Without Sleeping�V　Peeling Back the Layers


私とモルダーは、アイオワからD.C.へ帰る朝からずっと一週間おかしかった。
アイオワでの出血は目に見える形での病気の進行だったから、きっとモルダーにとってショック
だったのかもしれない。
彼は朝からむっつりとしてすぐイヤミを言い、横暴な態度に出た。
もちろんその原因が私だというのは分かっている。
でも私も黙っているわけにはいかなかった。
モルダーが私を無視して、自分一人の世界に引きこもろうとしているのが我慢できなかった。

これまでおかしくなった原因がサマンサの時は、モルダーをなるべくそっとしておいてあげた。
なぜならどんなに痛みや苦しみを分かちあってあげたくても、その痛みには肉親であるモルダー
だけにしか分からない部分があるだろうと思っていたからだ。
彼が辛辣なユーモアや皮肉を言うのは、そうした痛みや苦しみから身を守ろうとする彼なりの
方法なのだ。
そして心の中で何度も問い続け、戦い続け、そのたびに勝ってここまで来ていた。

今モルダーの心の中には私の病が忍び込み、彼はそれと闘っているようだった。

モルダーは私の体に起こった病に対して怒りをため込んで苦しんでいた。
だが彼は怒りの感情をめったに顔に出さない。
それは彼の複雑な子供時代の影響があるのだろう。
普通に送るはずだった彼の子供時代が、妹の失踪や陰謀で奪われてしまったせいなのかもしれない。

今、彼は心の中からその怒りを閉め出せなかった代わりに、私自身を閉め出そうとしていた。

でもそんなことは納得がいかなかった。
初めての診断結果をモルダーに伝えてから、ずっと私たちは病への怒りを分かち合ってきたのだ。
「なぜ私が？」と問い続けながら、私は終わることのないSMゲームのように責め苦しめられ続けて
いた。
でもわからないのは、なぜモルダーまでもがこんなに苦しみを味あわなければならないのかだ。
私が原因で苦しんでいるなら、なぜ心を私に見せてくれないのだろう？

〈今になってなぜあんなに打ちのめされているの？なぜ私を閉め出そうとするの？
何を怖れているの？〉

モルダーの心はまるで冬支度でもするように厚く覆われ、反対に私の心は裸になっていった。
私はたとえ病気でも、モルダーにも、誰にも、正直に、決して哀れみを誘うような態度は取らな
かったのに。

それで私はモルダーを刺激し続けることにした。
わざと棘のある言葉や彼に伝わらない言葉で話して挑発し、彼を苛立たせた。
私自身を的にして、棘だらけの、切りつけるような彼の怒りをぶつけて解放してほしかったのだ。

でもモルダーの怒りは爆発はせず、私たちを包むオフィスの空気が険悪になっただけだった。
もしこれがオフィスでなくアパートの部屋だったら、こうならなかったかもしれない。
私は自分のやっていることが分からなくなってしまった。
何も確かなことが分からなくなった。
分かっているのは、あのレナード・ベッツが言った言葉だけ。
あの時私は瞬時に言われたことの意味が分かり、そして証明された。

〈モルダー、こんなことをしている時間はないのよ。〉

仕事が終わるとあんなに毎日来ていたのに、モルダーはうちのカウチで眠ることはもちろん、
もう5日も部屋に寄ろうとしなかった。
その代わりか、電話だけは毎晩来た。
『体の具合は？』
『食事はした？』
『何かしてほしいことは？』
『朝迎えに行こうか？』
まるで事務的な口調で、何の感情もこもってないような声だった。
会話の間には気まずい、長い沈黙も続いた。
お互い受話器を耳に当てたまま、早く相手が沈黙を破ってくれないかと目をつぶって待っていた。
そうしたことも険悪になる要因だったのかもしれない。

〈どちらが長く耐えられるだろう？〉

今のところ、モルダーが勝ち続けていた。
こんな気持ちはあの時・・・フィラデルフィアでの事件で味わった焦りと苦しさによく似ていた。

〈もう二度とフィラデルフィアに行きたくない。エド・ジャーズの名前も二度と聞きたくない。〉

この事件で唯一後悔しなかったのは、背中に彫ったタトゥーだけだ。
たとえこの体が冷たく動かなくなっても、“不滅”のシンボルを背中に付け続けているだろう。
そしてどんなにばかげていても、レナード・ベッツの言葉も、モルダーにも、さだめられた自分の
運命にも反抗し続けよう。


モルダーが書類を山のように抱えながらドアから入ってきた。
私はデスクから顔を上げてモルダーを見たが、彼はまるで私の存在に気が付かないとでも言うように
目を合わさず、私のデスクの上に書類をドサッと置いて座り、一枚一枚めくり始めた。
仕事をしてる目の前に座られたのだ。とにかく何かモルダーに言わなければならない。
「モルダー・・・？」
彼はそれまで何か一人でブツブツつぶやいていたが、私の声を聞くと、今ようやく私に気が付いた
ように驚いてふりむいた。
「スカリー、いたのか。」
「さあ？ひょっとしたら幽霊かもしれないわよ。」
「そう。じゃあその幽霊は荷造りが必要だな。明日の朝コロラドに出発だ。」
「何言ってるのモルダー、今月いっぱいは遠くまで調査に行かないで、近場の事件や書類整理に
専念するって言ってたじゃないの。」
「考えが変わったんだ。オフィスにこもってないで外に出た方がいい。」
そう言うとモルダーは読んでいたファイルに顔を戻した。
「行けないわ。」
モルダーは驚きと戸惑いと・・・苛立ちの混ざった表情で振り向いた。
「どうして？」
「明日は病院で検査をする予約を入れてしまったのよ。スキナーにはもう伝えて、明日は一日休みを
取ることになったの。もっと早くあなたにも伝えれば良かったんだけど。」
モルダーはゆっくりファイルを閉じて、部屋の隅をじっと見つめた。
「他には？」
「別にないわ、ただの検査よ。だから出発をあさってか、せめて明日の夜まで延ばせられれば・・・」
「いや、僕一人で行く。」
モルダーはどんな言葉も聞き入れないように、即座にはっきりと答えた。

私は唇を噛んだ。

〈そんなふうにしないで、モルダー。そんなふうに私をはねつけないで。〉

「一日もずらせないほど急ぎで、重要な調査なの？」
モルダーはデスクから下りて、自分の椅子にドサッと座った。
「僕にとっては、ね。スカリー。」
まるでモルダーは子供のように下唇を突き出して、すねているような声を出した。
私は何とか自分の苛立ちをおさえた。
「ファイルを見てもいい？」
モルダーの唇はほとんど「NO」と動きそうだったが、急に感情を顔の下に隠して無表情に変わり、
「どうぞ」と言って片手でファイルをぶら下げ、目をそらした。
私は立ち上がってファイルを受け取ろうとした。

その時、一瞬私たちの視線が絡み合い、すぐにお互いにそらした。
まるで瞬間的に電流が走ったようだった。

私はモルダーの前に立ってファイルを読み始めた。
内容は、牧場の牛の体が何者かに切断された事件だった。
私はもう少しで笑い出しそうになった。
でも抑えた。
きっとモルダーは私に笑ってほしがってると思ったからだ。
笑って、いつものように科学的根拠と証拠を出しながら、彼の説に反論してほしがってるのだろう。
少なくともこのバカバカしい事件に行かなければならない理由を問い返してもらいたがっている。

「行かないで」と私に言ってほしがっている。

言えない。
だってもし違かったら？
それにどうしてモルダーが私にそう言ってほしがってると思うの？

私は深くため息をついて、表情を変えないようにしながらファイルを返した。
「それで、何日調査に行く予定なの？」
「そうだな、2、3日というところかな。」
モルダーの声が少し落胆したように聞こえた。
「じゃあ、週末も向こうで過ごすの？」
「ロッキー・マウンテンだぞ？スカリー。馬に牧場に、死んだ牛に。男が喜びそうなものばかり
だろう？カウボーイハットとブーツを買って、かわいい子馬にまたがるんだ。」
「夜遊びは程々にね、モルダー。」
やっとモルダーが笑った。
「気を付けるよ。でも僕ほど安全な男はそういないぜ？」
「私の同情を引こうとするようなことはしないでね。」
「なぜ僕がそんなことを？」
モルダーは顔を上げてセピア色の瞳で私を見つめたが、何も伝わってこなかった。
「もう帰るわね、モルダー。楽しんできて。」
私がコートをはおってドアに向かうと、モルダーの声が追いかけてきた。
「連絡するよ。」
私はモルダーに微笑みかけて、さっとドアを開けてオフィスを出た。
彼が微笑み返すのを、決して見ないように。


XOXOXOXOXOXOXOXO

午前3時に電話が鳴った。
誰からの電話かすぐに分かった。
モルダーはあの後いつもの電話をかけてこなかった。
「もしもし。」
「Hey、スカリー、僕だけど。」
「またずいぶんな時間にかけてきたわね、モルダー？」
そう言って挨拶したが、受話器からは苦しげなモルダーの息づかいしか聞こえてこなかった。

「モルダー？どうしたの？」
「え？あ、ああ・・・いや・・・ただ、眠れなくて。」
「悪い夢を見たの？」
私が知ってる限りでは、モルダーはここしばらく悪夢を見ていないはずだった。
見れば必ず私に電話してきていたから。それに私以外の人に自分の悪夢を話すとは思えなかった。
ずっと私は悪夢から彼を守る竜の騎士の役目を果たしていた。
「あ、いや違う。目が覚めてしまったんだ。」

私は起きあがってベッドの端に脚をかけた。
何か悪いことが起きたのか、それともその反対なのか。
モルダーは判断つかなかい声をしていた。
「モルダー、何があったの？」
彼は長い間沈黙して、大きなため息をついてからようやく話し出した。
「ごめん、僕はバカなんだよ、スカリー。」
「モルダー？どうし・・・」
モルダーは私の言葉をさえぎって、話を続けた。
「しかもただのバカじゃない、自分がどんなに間違ったことをしてるか分かっていても止められない、
本当の大バカなんだ。」
モルダーは言葉をとぎらせて、深いため息をついた。
「でも、それは・・・くそっ、スカリー、怖いんだよ。君のことも、自分のことも。何をやっても
無力で、何をしてもかなわなくて、君を守れないようで・・・。僕は・・・僕は君を失いたくない
んだ、ダナ。それだけなんだよ。」
「部屋へ来て、モルダー。」
私の心は苦しさと喜びが同時に湧き起こって、はちきれそうだった。
モルダーは今、自分の中の一番の恐怖と直面して、それを私と分かち合ってくれた。

〈彼に一人でいてほしくない。〉

彼のそばにいて、触れて、まなざしを正面から受け止めたかった。

「ダメだ、スカリー。今は行けない。」
「それなら私が行くわ。」
私はベッドから下りて服を探し始めた。
「ダメだ、スカリー、夜中だし危険だ。やめてくれ。」
「平気よ、30分で着くから。」
「ダメだ！」

あまりに強いモルダーの口調に、私はジーンズをはいていた手を凍らせて、何も話せなくなって
しまった。
「今来てはダメだ、スカリー。今僕は自分でどんなバカなことをするか分からないんだよ。
君に何をするか分からない。」
「言ったでしょう？モルダー。あなたを怖くなんてないわ。」
もし私たちの会話を誰かが聞いたとしても、きっと誰も意味が分からなかっただろう。
私たちの言葉の間には、言った言葉よりもっとたくさんの言葉がその間に隠れているから。
私とモルダーには、そうした言葉で表されない言葉を理解し合うことができ、そしてその言葉の方が
ずっと重要だった。

モルダーのかすれた笑い声が聞こえた。
「そうかい、スカリー？でも今回だけは別だよ。きっと君を傷つけて、怖がらせてしまう。」
私はジーンズをはきかけのまま手探りで椅子を探し、深く腰を下ろした。

〈私たちの間にはいつこんなバリアーができていたの？いつから？〉

「スカリー、聞いてるかい？」
「ええ・・・少し待って、モルダー。」
今彼と話せない・・・。
私の頭の中はショックで一杯だった。

私はこれまでの人生で、男性との肉体関係はそう気安く結ばなかった。
誰にも気安く触れさせなかったし、私も相手に触れようとしなかった。
それに恋をしてる時間があまりなかったせいもある。
私はいつも自分の目標、自分のやりたいことに向けて全力を注いでいたから。
Xファイルの仕事を始めてからは、もっと時間はなかった。
それに・・・

〈私はモルダーに深入りしないように、自分の気持ちにブレーキをかけていた。〉

そしてモルダーにも、私のプライベートに深く関わらせないようにさせてきていた。
彼が断られるたびに投げてくる、皮肉の入ったユーモアやジョークを受け流してきていた。
そうでもしないと、私は仕事に集中することができなかったからだ。
でもそれが、こんなふうに二人の間に壁を作っていただなんて。

〈私がモルダーをどれだけ愛しているか、本当に彼に伝える手段はないの？〉

《全く、スカリー、何をやっているの？これまでの自分を変えられないって言うなら、
せめて行動を変えたらどうなの？ほらほら、スカリー、時間はどんどん過ぎていくのよ。》
心の中の声が意地悪くささやいた。
私は小声で、ためらいながらモルダーに尋ねた。
「モルダー、明日のフライトは何時？」
「9時30分だよ、何で？」
モルダーは戸惑うように笑って答えた。
「私の検査は11時からなのよ、空港まで送っていってあげるわ。」
言葉の中に、「絶対にそうする」という強い気持ちをこめることができたのかもしれない。
モルダーがすぐに答えた。
「OK、スカリー。」

モルダーはしばらく黙った後に付け加えた。
「スカリー、分かってると思うけど、これは本当は重要な調査なんかじゃないんだ。
1日や2日延期したって・・・」
「いいのよ、行った方がいいわ、モルダー。少し一人でゆっくりしてきた方がいいわよ。」
モルダーは反論しなかった。
たぶんお互いに一人になる時間が必要だということが、彼も気が付いたのだろう。
「それじゃ・・・8時半くらいに来てくれるかい？」
「いいわ。コーヒーを入れて待っててね。」
「僕の“キャプテン・クランチ”も分けてあげるよ。」
私は今日初めて笑った。
「それはパスするわ。」
「おやすみ、スカリー。」
「おやすみなさい、モルダー。」

XOXOXOXOXOXOXOXOXO

モルダーは寝坊したようだった。
私がモルダーの部屋のドアをノックすると、彼は裸足でシャツも着てなく、ズボンのベルトを
かけながらドアを開けた。
頭は寝グセでぼさぼさで、まだひげも剃ってないようだった。
〈かわいい。〉
こんな様子の彼を見てそう思うのはおかしいかもしれないが、まるで教授になりたての男の子の
ようで、かわいかった。
「ごめん、寝坊した。」
モルダーはあわただしくバスルームに向かいながら大声で話した。
「コーヒーはポットの中だよ！」

15分後、一杯のコーヒーを飲んで私たちは空港へ向かった。
車内でモルダーはあまり話さず、私も自分の考えに集中していたので、静かなまま空港まで
ドライブした。
ただ、私の右手はずっと、大きくてやさしいモルダーの手の中に包み込まれていた。

空港はいつものように混雑していて、セキュリティ・チェックが終わるまでかなり長くかかった。
私たちがボーディングゲートに急いでいると、モルダーの乗るフライトの登場アナウンスが頭の上
で響いた。
飛行機のタラップへ通じるボーディングゲートの前でチケットを渡した後、私たちは向かい合って
動かずに、お互いを見つめ合っていた。
搭乗の最終案内がホールに大きく響き渡った。

モルダーがそっと私の腕に触れた。
「何かあったら、すぐ連絡してくれ。」
「わかったわ、モルダー。」
「約束してくれ。」

〈モルダー、あなたを抱きしめたい。〉

私は微笑んだ。
「約束するわ。」
モルダーはやっと満足そうにうなずいた。
「今夜電話するよ。」
「OK。」
モルダーは2、3秒何かためらった後、荷物を下ろして私を招くように大きく腕を広げた。
私は引き込まれるようにモルダーの首に腕をまわして、負けないほどきつく彼を抱きしめた。
モルダーは私の髪に顔をうずめながらささやいた。
「Bye。」
「Bye。」
モルダーは荷物を持って後ろ向きに歩いて私を見つめた後、ゲートに向き直って歩き出した。
「モルダー！」
私は緊張で震える声でモルダーを呼び止めた。

〈思ったよりずっと難しい。でも、今よ。〉

モルダーはどうしたのかというような表情で振り向いた。

「愛してるわ！」

膝が細かく震えて、心臓の鼓動が信じられないくらい早くなった。
私はカラカラになった口からやっと、私の想いをモルダーに伝えられた。
彼は口を開けてびっくりしたように私を見つめ、急に瞳を輝かせて、これ以上ないほどの大きな
笑顔になった。

モルダーは荷物を落としてゲート前のロープをまたぎ、あっという間に近づいて私の顔を手で包み、
音を立ててキスした。
私も胸いっぱいの想いを込めて、モルダーの唇にキスを返し続けた。
モルダーは一度そっと唇を離し、もう一度軽く音を立ててキスしてささやいた。

「僕もだ、スカリー。愛してる。」

モルダーははつらつとした足取りでまたロープをまたぎ、ゲートの中に消えた。
私は混雑した空港の中で、たった一人ぼっちになったようにゲートを見つめて立ちつくしていた。


〈モルダー、もう寂しくてたまらないわ。〉



XOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXO

Dance Without Sleeping �W　Last Dance


私の部屋はいつのまにかチョコレート倉庫のようになっていた。
モルダーがいつの間にか持ってきては、変なところに隠して置いていってしまうのだ。
箱入りのチョコレートがナイトテーブルやコーヒーテーブルの上、そしてバスルームの戸棚や
食器棚の引き出しの中に、フォークやナイフと紛れて入っていた。
本棚にトリュフが置いてあったり、床の上にはキスチョコが転がっていて、点々と置いてある
チョコの後を追っていくと、ステレオの上にボウルいっぱい入ったスニッカーズがあったりした。
一度は私のベッドの上にチョコがばらまかれてあったりした。
でもなぜか引き出しにしまってある、私の好きなバラのチョコレートには少しも手が付けられて
なかった。
冷凍庫の中にはいつもBen&Jerryのチョコチップファッジのブラウニーアイスクリームが2パイント
入っていて、モルダーは一個目の半分まで食べると必ずもう一個買い足してきていた。
モルダーは部屋中のチョコについて何も言わなかったし、私も特に言う理由が思い当たらなかった
ので、何も言わなかった。
特に私たちはそういったことについて話し合うことはなかった。
話したくなかったからでなく、ただ必要ないと思っていたから。
そういった雑事のことより、空港での会話のように、自分が一番伝えたかった言葉を言い、そして
それを受け止めること。
それが一番重要で、それ以外のことはもうどうでもいいことだった。
時間は決して戻ってこない。

一瞬の賭け。
それが人生を変えていくのだ。

XOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXO

私は一週間に一度、45分間の検査と治療に通っていて、今日はこれで6回目の治療になる。
今回から放射線治療が始まった。
最新のスキャン映像で、腫瘍の影が大きくなっているのが分かったせいだ。
生きていくためには、こうした治療も受けなければならない。いわば代償ということだろうか。
担当医は、私が仕事で遠方への出張が多いことや不規則な勤務を考慮してくれて、検査や治療を
なるべく短時間の間に終わらせるよう努力してくれていた。
それでも治療が終わると、以前より疲れやすくなって食欲が落ちているのがわかった。
モルダーはいつもそんな私を気遣ってくれている。
彼はいつもすぐそばに、静かに立って、真実の追究を続けている。

XOXOXOXOXOXOXOXOXOXOXO

土曜日の朝。
母の家で、今年の庭造りの計画を楽しくおしゃべりしてアパートに帰ってくると、ベッドの上に
2つの箱が置いてあった。
モルダーは一晩ここで過ごしたようで、カウチの端に枕と毛布があったが、部屋に彼はいなかった。

私は大きめの箱を開けて詰め物を取り出すと、思わず息をのんで、中からすべるような生地の黒の
ドレスを取りだした。
背中が広く開いて深いスリットも入り、肩ひもが細い糸のようなストラップになっている、とても、
とてもセクシーな美しいドレスだった。
頬を赤くしながらドレスを戻し、もう一つの箱を開けてみた。
中にはドレスに合わせた、足首にストラップの付いた3インチヒールの黒レザーのパンプスが
入っていた。
セクシーなドレスと靴。

〈モルダー？これは何のメッセージなの？〉

箱の隅に手紙が入っていた。
急いで封を切ると、中から黒いボウ・タイと手紙がすべり出てきた。
私はタイを手に持ったまま手紙を読み出した。

　
　　スカリー

　　　　今夜8時にリージェンシー・ホテルのボール・ルームで会おう。
　　　　そこで待ってる。
　　　　このボウ・タイが鍵だよ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　モルダー




8時2分前。

私はホテルのボール・ルームの扉の前に立ってモルダーを待っていた。
まだ彼は現れていない。
私はアップにした髪に手をあてて、シルバーのクリップで留めた髪の具合を確かめた。

〈こんなに緊張して人を待つのは何年ぶりだろう。〉

もうほとんど思い出せなかった。
私は頭を下げて、着ているドレスをもう一度見つめ直した。
自分でも言うのもおかしいが、とてもよく似合ってる。
背中をセクシーに見せるシンプルなカットデザイン、腰から広がる流れるような美しいライン・・・
サイズもぴったりだった。
こんなに深く背中の開いたドレスを着るのにブラは付けられなかった。
私の胸の先端はドレスを着た興奮と、動くたびにかすめる布の刺激のせいで固くなり、その度に
頬が赤くなった。

一人の男性が私の方に近づいてきた。
私はコートで胸元を隠して靴を見つめた。
靴も、まるで自分が選んだように足にぴったりフィットしていた。
モルダーには本当にいつも驚かされる。

男性は通りすぎずに私の前で立ち止まった。
「スカリー様ですか？」
「ええ。」
「失礼ですが、ボウ・タイをお持ちですか？」

《さあダナ、勇気を出すのよ。》

心の中の自分が力づけた。
私はハンドバッグをぎゅっとつかんで、中からボウ・タイを取りだして彼に見せた。
「よい夜を、スカリー様。」
その男性はにっこり微笑むと、鍵を私の手に渡してそのまま行ってしまった。

私は唇をなめて大きく深呼吸した。
ボール・ルームの扉に近づいて手渡された鍵を入れてまわすと、扉がゆっくり開いていった。
広いボール・ルームが目の前に広がって、天井から下がったシャンデリアが美しくきらめいていた。
部屋の真ん中に、真っ白で美しいドレープを描いているクロスがテーブルにかかり、すでに二つの
椅子がテーブルにセッティングされていた。
テーブルの上には二本のキャンドルがともり、並べられたクリスタルグラスや皿をキラキラ輝かせて
いた。
テーブルから少し離れた場所には銀のカバーの掛けられたビュッフェスタイルの料理が並べられ、
おいしそうな匂いの湯気が立ち上っていた。

コートを扉のそばにあった椅子に掛けてバッグを置き、扉を閉めると、またカチッといって鍵が
かかった。
私がキャンドルの光から離れたところに立っていると、反対側の薄暗い所から、モルダーの
シルエットが近づいてくるのが見えた。

私はタキシードを着たモルダーがどんなに素敵に見えるか忘れていた。
彼は微笑みながら、まっすぐ私に近づいてきた。
私はもっと近づいてくるまでそのまま立って待ち、彼を見つめていた。
モルダーはボウ・タイだけしていなかった。

モルダーはテーブルまで近づくと突然立ち止まり、私を上から下までじっくりと眺めだした。
私は少し緊張したまま微笑んでみせた。
モルダーのまなざしがゆっくり私の顔の輪郭をなぞり、首から胸へゆっくり舐めるように下りていき、
腰から下へ絡み、また私の目を見つめた。
見つめられた部分から体が熱く溶けていくようだった。
こんなふうにドレスアップして男性に見つめられるのは初めてだった。
初めての男性がモルダーで嬉しかった。

私はモルダーの表情豊かな唇が何か言ってくれることを待っていたが、彼は長い間何も言わずに、
ただ私をじっと見つめていた。
私が見られるままの状態に耐えきれなくなって下を向くと、さらにモルダーが間近に近づいてきて
「Wow」とつぶやいた。
「書いてあったとおりにしたわよ？モルダー。」
モルダーに微笑みかけた。
彼は私を見つめたまま満足したように、ゆっくり頭を振った。
「思った通りだ。」
「モルダー、あなたがこんなにいいセンスをしてるとは思わなかったわ。それによくサイズも
分かったわね。」
モルダーはニヤッと笑った。
「これでもプロの捜査官だからね、スカリー。」
「私のクローゼットの中をのぞいたんでしょう？モルダー。」
モルダーは微笑んだまま何も答えなかった。
やっぱり私の推理は当たっていたらしい。
「Hey、スカリー、僕のために神に祈ってくれないかい？」
こういう時いつもモルダーは話をすり替えたり、何かジョークを言って切り抜けようとすることを、
私はこの4年間で学んでいた。
「どうして？」
「今夜は僕でさえ神に力を貸してほしい気持ちなんだよ。」
モルダーは指で唇をもてあそび、額にたれた髪をかき上げながら、落ち着かない様子で後ろに下がり、
唇をなめながら私の姿をもう一度見つめた。
私はモルダーをこんなふうにできた自分にすっかり満足していた。
「モルダー、お腹減ってるの。いつまでも眺めて食事にしないんだったら、帰るわよ。」
モルダーは素早く私に近寄って手を取った。
「それならこちらへどうぞ、スカリー。座って。」
「待って、モルダー。」
私はバッグからタイを取りだして、彼に見せた。
「これで完璧ね。」
私はモルダーの首に手を回してタイを結んだ。
指がうなじを触った時、モルダーはかすかに震えてゆっくりまぶたを閉じ、私のウェストに両手を
そっと置いた。
私は彼の親指が薄いドレスの布地ごしに腰をなでる感触に気を取られそうになりながら、タイを
結ぶことに集中しようとした。
「できたわ。」
モルダーは腰から手を離すと、テーブルの椅子を引いて私を座らせ、ワインの栓を抜いてグラスに
注いだ。
「食事を取って来てあげましょうか？スカリー捜査官？」
「ええ、お願いするわ、モルダー捜査官。」

モルダーはテーブルのサラダ用の皿とディナー皿を取って、ビュッフェテーブルへ行った。
彼が銀のカバーを開けるとまるで雲のような湯気が上がり、いい匂いが部屋中に広がって、
おなかの虫が騒ぎ出した。
モルダーはまずサラダ用の皿にシーザーサラダを山盛りにして私の前に置き、また戻って、
ディナー皿にたくさんの料理を乗せて運んできた。
コルニッシュ風チキン、蒸したマッシュルームとライス、アスパラガスのソテー、殻付きのカキ、
その横にはポテトが山盛りに盛りつけられていた。
きっとこんなにたくさん食べきれないと思ったが、見てるだけで心がワクワクしてきた。
ふと、フォークもナイフもテーブルに置いてないことに気が付いて、自分用に料理を山盛りにして
戻ってきたモルダーに尋ねた。
「モルダー、フォークもナイフもないわ。」
モルダーはニヤッと笑いながら皿をテーブルに置いて、きれいに折り畳んであったナプキンを広げて、
私の首に巻き付けだした。
「フォークもナイフもいらないよ。」
「モルダー、まさか手で食べようって言うんじゃないでしょうね？」
モルダーは笑って私の首にナプキンを結びつけ、かがみこんで耳のそばでささやいた。
「君が楽しいと思うことなら、僕は何だってするよ。」

〈こんなことを言われて、一体誰が断れるかしら？〉

指を使って食べるのは、とても野性的で官能的だった。
ナイフの代わりにワイルドに歯でかみついて食べ、そして指からそのまま、お互いの口に運んで
食べさせあった。
あまりに原始的な食べ方で、お腹の底からおかしくて楽しくて、食事中私たちはずっと笑い転げて
いた。

デザートのお皿に残った最後のホワイトチョコ・ムースを指ですくいあげていると、モルダーが
言った。
「さあ、そろそろ行こうか。」
「行くってどこへ？」
「すぐにわかるよ、スカリー。まかせてくれ。」

5分後、モルダーは落ち着いた照明の中でたくさんの人影がたわむれる落ち着いたバーへ案内して、
角のテーブルに座った。
「モルダー、ここは何なの？」
「バーだよ、スカリー。来たことないのかい？」
私は眉を上げて軽くにらんだ。

「失礼しました。」
モルダーは店の中を眺めながら話し出した。
「本当のことを言うと、ここはフロヒキーが紹介してくれた店なんだ。」
「まさかランジェリーを着たウェイトレスがダンスをしたりしないでしょうね？」
モルダーはクスッと笑って私の手を握った。
「もっとヤツを信用してやってくれよ、スカリー。あいつは君のことをレディだと思って尊敬
してるんだから、そんなところを紹介なんてしないよ。ここには音楽のために来たんだ。」
「音楽？」
ウェイトレスがオーダーをとりにテーブルに来た。
ウェイトレスはモルダーより4インチは背が高く、軽く100ポンド以上は重そうな黒人女性だった。

〈彼女なら踊るようには見えないわね。〉

モルダーは100ワットの笑顔を彼女に見せて、私にグラスワインと、自分にサミュエル・アダムスを
ボトルで頼んだ。
店の中を眺めると、奥にバンドのいるステージと、天井の低い小さなダンスフロアがあるのに気が
付いた。

私は心をはずませながらバンドの演奏に耳を澄ませ、キラキラ光る楽器を眺めていた。
バンドは様々な曲を奏でていた。
ブルース、ジャズ・・・スタンダードなものから新しい曲まで。
何組ものカップルがダンスフロアに上がって、曲に合わせてゆっくり踊っていた。
曲が“Smoke Gets in Your Eyes”に変わると、モルダーはグラスを一気に飲み干して私の手を握り、
立ち上がってフロアへ引いていった。

そんなに驚くことではないかもしれないが、彼はどんなことにも上手に適応できる。
モルダーはダンスもうまかった。
私たちは一つの影になってゆっくり踊った。
まるで生まれたときからずっと二人で踊り続けているように、微妙なニュアンス一つ狂わないほど、
一つの動きになって踊っていた。
背中を抱いていたモルダーの手に力がこもって、私を更に近くに引き寄せた。
私は片手をモルダーの胸に置いて、彼の鼓動を指に感じていた。
曲がやんで次の演奏が始まる間、頭をモルダーの胸にもたれさせながらそっと目を閉じ、
手をジャケットの中に忍ばせて、シャツ越しに彼のウェストに触れたり、背中の筋肉に
そって指をはわせてみた。

またスローな曲が始まると、モルダーは私の髪にキスを落とし、だんだんとキスを下ろしながら
耳にささやいた。
「幸せかい？スカリー。」
「ん・・・。踊って、モルダー。」
「ああ。」
モルダーが微笑んだまま、そっと私の額にキスを落とした。
飲んだワインのほてりと、体を包むモルダーのぬくもりを全身に感じて、私はうっとりと目を
閉じていた。

このまま時間が永遠に止まってほしい。

この時をボトルの中に封じ込めて、モルダーに贈りたい。
私の思い出を。
私の形見として。

「ずっと踊って、モルダー。」

「永遠に？」

「ええ、永遠に。」

「OK、スカリー。」


モルダーがのどの奥をふるわせるように笑った。
「何？」
モルダーは楽しそうに笑っていた。
「スキナーのオフィスで僕たちがワルツを踊って見せたら、どんな顔をするかな、と想像したんだ。」
「本気じゃないでしょうね？」
私も微笑み返した。
「そんなことしないよ、スカリー捜査官。」
「今は捜査官じゃないわ。」
「わかってる。」
「本当に？」
私はまっすぐにモルダーの瞳を見つめた。
モルダーは溶けそうなまなざしで私を見つめ、深くため息をついて、きつく私を抱きしめて耳元で
ささやいた。
「スカリー・・・、そんなこと聞くまでもないよ。君こそ僕の気持ちを感じてくれてるかい？」


心の壁が崩れていく。


テンポのいい曲に変わり、周りのカップル達がリズムに乗って軽やかに踊り始めた。
モルダーと私もゆっくりとしたステップで回り始めた。
繰り返し、繰り返し。
今私の世界は、目の前のモルダーを中心に回っていた。

死の向こう側には一体何があるのだろう。
神父様は魂は不滅だと教えてくれた。
もし天国があるなら、きっと私はいつもモルダーのことを思い出してばかりいるだろう。
まだ私が死ぬのは早すぎる。
まだ死にたくない。

天井からつり下げられたミラーボールにスポットライトがあたり、フロア中に光のかけらを反射して、
まぶしいほどに光り輝いた。
モルダーの胸から顔を上げると、頭の中にストロボのように光がフラッシュし、ミラーボールが
狂ったように回りだした。
頭の中が真っ白になるほど激しく光り、急に突き刺すように頭が痛くなり、耳鳴りがしだした。

私は目を見開いたまま息ができなくなってよろめき、モルダーの腕につかまった。
サイレント映画のように頭の中に映像が流れ出した。
誰か、知らない人たちが私を囲んで見下ろしている。
顔の輪郭がぼんやりとしていて、一体誰だか分からない。
でも一人だけ知ってる男がいた！
私は恐怖であえいだ。
アラームが鳴り、何か機械が作動してうなるような・・・ドリルが回転する音がしている。
誰かの声がする。
私に「こわがらないで」と言っている。
でも怖いわ！
助けて！怖い！
私は動けないまま目を開いた。
ドリルが天井から下りてくる・・・下りて、下りて・・・。

私は声にならない悲鳴を上げた。
「スカリー？」
やめて！お願い。何をするの！？
私のお腹がどんどん膨張していってる。
針を入れてる。切ってる。
そして何かを私の中から吸入している。
「スカリー？聞こえるかい？」
誰か私の顔を触ってる。はねのけないと！
モルダー、助けて！こいつらを止めて！
ペニーが私の手を握ってる。
「終わったわ、ダナ。もう大丈夫よ、終わったわ。」
何か私にしたのよ！
想像できないほどひどいことを！
「スカリー！？どうしたんだ！スカリー！」
お願い、やめて、もう何もしないで。

〈やめて！〉

「しっかりしてくれ、ダナ、しっかり、baby、僕の声が聞こえるかい？」


モルダー、これが最後のダンスになるのね・・・。