DISCLAIMER: The characters and situations of the television program
"The X-Files"are the creations and property of Chris Carter, Fox Broadcasting,
and Ten-Thirteen Productions. No copyright infringement is intended.
TITLE
: Just One Day
作：Angela
Wardさん 訳：bagpiperさん
F.B.I. Special Agent Fox Mulderが走っていた。
ペースを少し上げ、規則正しい呼吸を保って走る。
Mulderは、朝のジョギングのひとときをこよなく愛していた。早朝の空気の中を、たったひとりで走っていくのは何にも代えがたい喜びだと思う。Scullyが横にいて、ふたりで走れたらもっと楽しいのだけれど。
しかし、彼の妻は、もうすぐ妊娠後期にはいるので、主治医からあまり激しい運動は避けるように言われていて、その代わり、もっと軽い運動
-
ウォーキングやスイミング、マタニティエクササイズなどをするようにアドバイスされている。
Mulderは公園のジョギングコースを離れて、３ブロック離れた自宅までの道のりをゆっくり戻り始めた。だんだんペースを落としてクールダウンしながら歩いていく。
家について玄関を入ると、キッチンに寄ってから、シャワーを浴びに２階へ上がっていった。
Scullyは、もうほとんど朝の吐き気を訴えたりすることはなくなっていたのだが、彼はソーダをグラスに注ぎ、クラッカーを２，３枚お皿に載せて持っていってやり、彼女の目が覚めたらすぐに手を伸ばせるように、Danaの側のナイトスタンドの上に用意しておいてあげるのだ。
グラスとお皿を、音を立てないようにそっと置くと、彼はバスルームに行きシャワーの栓をひねった。
* * *
Dana Scullyは、シャワーの音で目が覚めた。
＜ふふ・・・！＞
彼女は、浅い微睡みの中でにっこりした。
＜裸で・・・びしょぬれのMulder！＞
ただ、頭の中に鮮明に浮かんだそのイメージにうっとりしながらも、まだこの居心地のよいベッドから出ていく気にはなれなかった。
そこで彼女は、夫が持ってきてくれたソーダとクラッカーに手を伸ばした。
実際にそれが欲しかったという以上に、彼の愛情をこんな風に感じられるのが嬉しい。
彼のあたたかな思いやりに感謝しながら、彼女はソーダをすすり、クラッカーをかじった。
数分後、Mulderは腰にバスタオルを巻き、首にかけたタオルで髪を拭きながらベッドルームに戻ってきた。
Scullyが起きているのに気がつくと、声をかけた。
「おはよう、お姫さま」
「ねえ、こっちに来て」
Scullyは手招きして彼を呼んだ。
＜やっぱり起きてすぐにソーダを飲むのっていいことだと思うわ。朝からさっぱりできるものね。＞
彼女は心の中で思った。
そして、Mulderを引き寄せると唇を近づけ、ゆっくりと誘うようなキスをした。
彼の胸を覆う柔らかな毛は、まだわずかに湿っていて、彼女は指先を遊ばせながらゆっくりと下ろしていき、タオルの下に手を忍ばせてそっと彼の腹筋を撫であげた。
「まだ時間あるんでしょう？」
この数週間というもの、Scullyは貪欲といってもいいほどに夫を求めるようになっていて、彼女は顔を赤らめながら、ドクターに訊きに行ったりもした。
ドクターは、安定期に入ったせいだから心配しなくていいと言ってくれた。
この時期になると妊婦の身体にも変化が起こり、血行がよくなるためらしい。それで、この時期を”第２のハネムーン”などと呼んだりするのだろう。
もちろん、このことでMulderが文句を言うはずはないし！
Mulderは、喉の奥から低い声で唸ると、残念そうに言った。
「ああ！ごめん、honey、でも今は無理なんだよ。今朝は、対策チームのほうで、長官に報告しに行かなきゃならなくて忙しいんだ。でも今夜は金曜日だからさ、週末はずっと・・・いろいろして遊ぼうよ、約束する。」
「そうね、わかったわ。」Scullyは、ほんの少しだけふくれっ面をしてみせた。
「じゃあ、急いで着替えなきゃ。私が見ててあげる。」
Mulderの腰に巻かれていたタオルが、はらりと落ちた。そして彼はすぐに身をかがめて、それを拾った。
Scullyが妊娠してからは、いろいろなことが変化していったが、これもまた変化・・・というより変身と言えるだろう。
Mulderが、なんと自分で後片づけというものをするようになったのだ！
そのとき、ダークブラウンの茂みの中から半分勃ちあがったものが見えた。
＜ま、いいわ。＞
彼女はひそかに頷いた。
だって、すごく熱く昂ぶらせたままで仕事に送り出すなんて可哀想かしらって思うけど、だからって、私がキスして誘ったっていうのに何の反応も示さなかったら・・・やっぱり許せないもの。
* * *
Mulderは、新しいオフィスのデスクにむかっていた。
こうして陽のあたる場所に出てきた今でも、あの古い地下オフィスで、Ｘファイルの事件を追い続け、Scullyと共に過ごした日々を懐かしく思うことがある。
彼が報告書に目を通していると、秘書がノックをして入ってきた。
「A.D. Skinnerがお会いになりたいそうです、Agent Mulder」
「すみません、２０分後には長官とのお約束が入ってるんです。特別チームで作成した連続殺人犯に関する報告をお見せすることになっていて。その後でもかまいませんか？」
「いや」Skinnerが答えて言った。
「長官には私のほうでお願いしてある。別の捜査官が報告に行くと伝えてあるから。君は私と一緒に来てほしいんだ。Arlingtonの病院で人質事件が発生した。君に交渉役を頼みたい。」
Mulderは黙ってうなずくとスーツの上着に袖を通しながら、報告書をAgent Charles
Guilbeauに手渡し、他の捜査官たちにも、長官に何か訊かれたらできるだけ詳しく正確に答えるよう指示を出した。
「今度はなんです？」廊下を駆け抜けるようにして通り過ぎ、駐車場に向かって急ぎながらMulderが尋ねた。
「エイリアンですか、それともモンスターかミュータント？」
「君はいったい何を言ってるんだね、Mulder？」Skinnerは自分の車に乗り込みながら言った。
「君は心理学の専門家だろう？しかも、経験豊富な捜査官だ。だからこそ君に交渉役を頼んでるんじゃないか。」
「ちょっと待ってください、Skinner！たしかに僕は心理学者ですけど、僕の専門はプロファイルですよ。人質交渉じゃありません。１５年間ここで働いてきて、たったの２回しかやったことがないんですから。あの許し難いクソDuane
Barryの事件のときと、テロ攻撃の脅迫を受けていたシカゴの会社の捜査中にたまたま捕まって、全く何の準備もしないで人質になったときと・・・それだけです。その僕にわざわざ言ってくるってことは、何か理由があるんでしょう？何なんです？」
Skinnerは環状線にのってスピードをあげながら溜息をついた。
「その男の言ってることを理解してやれる人間がいるとしたら、君だけだ。君がプロとして養ったきた勘と人生経験があれば・・・君ならその男の心の中を覗けるかもしれない。」
「人生経験って、いったいなんのことです？Skinner。そいつか家族の誰かがエイリアンにでも誘拐されたんですか？それとも、霊媒か念力を使って死んだ者と会話ができるとか？」
「そんなことは言っておらん。この件にＸファイルは関係ないんだ。・・・少なくとも君が考えているようなことはな。」
「じゃあ、何なんですか。」
「奥さんが癌で死にかけているそうだ。人質は看護婦がふたりと医者１名。奥さんの命を救うためにもっとできることがあったはずだと、そう思っているらしい。」
Mulderはしばらく考え込んだあと、静かに口を開いた。
「そうですね。たしかに話をきいてやれるかもしれません。」
「Scullyが癌と闘っていたあの頃、君は彼女の夫ではなかったが・・・それでも君なら、その男の絶望や喪失感を分かってやれるんじゃないか。」
Mulderは、ゆっくりと頷いた。
* * *
病院につくとすぐに、MulderとSkinnerはF.B.I.捜査官とArlingtonの警察官が集まっているところに合流した。人質が囚われている病棟の外に、緊急対策本部が設置されていた。
捜査官のひとりがやってきて状況の報告をする。
「この病棟からは、全員避難させました。ヤツは３人の人質をとって立てこもっています。ピストルを持ってるんですが、それから爆弾を体に巻きつけてると言ってるんです。この暑いのに分厚いシャツを着ているので・・・それが本当なのかハッタリなのかまだ確認できていません。」
「準備してくれ。すぐに中に入って説得にかかる。」
Mulderはそう言いながら、ネクタイをとってＹシャツを脱いだ。
技術担当の人間がやってきて、彼の胸と首と耳に、隠しマイクや無線レシーバーを装着していく。
「人質を増やすだけの結果にならなければいいが・・・」警察官のひとりが呟いた。
Mulderが人質が囚われている部屋に向かっている間に、無線を担当していた捜査官がSkinnerに向かって囁いた。
「他に誰かいませんか？パートナーの方がいいと思うんですけど。こうやって交信していても、僕では・・・捜査官の支えにはならないんじゃないかと・・・」
Skinnerは頷きながら、携帯電話を取り出した。
「そうだな。Quanticoを呼び出してみよう。」
* * *
ScullyはF.B.I.のアカデミーでの授業を終えたところだった。
今回は、以前教えていたときのような正規の授業とはちがって、すでに自然科学の分野で学位をとってから入局する新人たちに対する特別講義を行っていた。
何人かはScullyと同じように医者の資格を持ち、あるいは生物学、化学、物理学またはコンピュータ・サイエンスの学位を修めている者たちだ。
そして、授業を終えた彼女は、将来の仕事に関わることなど何でも訊いてほしいと、フリータイムを設けていた。
「それじゃ、ここにいる僕たちは、だいたいQuanticoで過ごすことになるんですね。」
男性の生徒が訊ねた。
「ええ、まあほとんどの仕事をここでするってことなら、たしかにそうね。」Scullyは頷いて言った。
「科学的知識のある捜査官の場合、２年くらいラボで働いた後、現場の捜査官として実地の経験を積んでから、またこちらに戻ってくるというのがよくあるパターンでしょうね。」
「先生もそうだったんですか？」今度は女性の生徒が訊ねた。
「実は、私の場合、６年も現場に出ていたのよ。卒業後２年間はこちらで働いて、そのあと１年間は現場の捜査に関わって・・・翌年またここに戻されたんだけど・・・でも結局それから５年間も現場のほうにいたことになるわ。医者の資格がある捜査官だと、私のような経歴はわりと珍しい方じゃないかしら。ただ私が属していた部署はちょっと特殊な捜査部門だったから、医学的知識を活用する場面が多かったのね。」
「どちらが重要だとおもわれますか？あの、つまり現場の捜査と科学的分析ってことですけど・・・」別の生徒が口を開いた。
Scullyは思わず優しい笑顔を向けた。
その真面目で、ちょっと不器用そうな雰囲気は誰かを思い出させる・・・今は亡き友人のSean
Pendrellだ。
「どちらも大切です。」Scullyは答えて言った。
「コインの裏と表みたいなものですから。だからこそ、私たちのように科学系の捜査官でも１，２年は現場に出て経験を積む必要があるんだと思うわ。もちろん私たちは、極繊維分析やDNAに指紋に...いろいろあるけど、そういう物証から最先端の技術を駆使してさまざまな情報を得ることができるわ。でも、まず証拠を捜しあてて持ち込んだ捜査官のことを考えてみて。気の遠くなるような根気のいる捜査が必要なのよ。ラボにいる私たちも、それは常に肝に銘じておかななければね。」
ドアが開いて、５０代後半の女性が慌ただしく教室に入ってきた。
「Dr. Palmer？どうなさったんですか？」
Scullyは驚いて訊ねた。
Dr. Palmerが金曜日にここにいるのは珍しいことだったからだ。
「Dr.
Scully、今日の授業は、他の授業も全部私が代講しますから。」Palmerが言った。
「あなたにはArlingtonで起きた人質事件の交渉をサポートしてもらいたいと要請がきたの。」
「でも、Dr. Scullyは病理学者ですよね！」誰かが大声を出した。
「どうして先生が人質交渉をなさるんですか？本部の方には心理学者がいるんじゃないんですか？」
Scullyは息を吐き出し、震えそうになる声を抑えて言った。
「もしかしたら、オックスフォード出身の心理学者が交渉に当たっているのではないですか？それで私に交信を担当しろと・・・」
Dr. Palmerはうなずいた。
「交信担当って何ですか？」誰かがたずねた。
「捜査官が危険な任務につくとき -
人質の交渉や潜入捜査、爆発物除去などいろいろありますが -
そういうときには外部との交信ができるように隠しマイクと無線を身につけて行くんです。」Palmerが言った。
「交信を担当するのは、任務についた捜査官が信頼する人物であることが必要です。通常は、対策責任者が、その捜査官にきいてから決めるのですが・・・今回の事件の責任者のSkinner副長官は、彼に確かめるまでもなくQuanticoに電話を掛けてきたようですね。Dr.
ScullyをAgent Mulderのサポートに寄こすように言ってきたんですよ。」
「Agent Mulderって？」女性の生徒がきいた。
「私の夫なの。」ドアの向こうに歩き出しながらScullyが答えた。
* * *
Mulderは部屋の中に入ることに成功し、男を説得して人質になっていた若い看護婦を解放させた。
看護婦と交換にMulderが残ることになり、人質の数は依然として変わらなかったが、人質交渉の第一段階としては、ほぼ手順通りに進んでいた。
「やはり僕には無理です。」Mulderとの交信を担当していた若い捜査官が小声で言った。
「代わっていただけないでしょうか、sir」そして困り果てた様子でSkinnerを見上げた。
「いや、もう心配ない」Skinnerがホッとした表情を見せながら答えた。
「最強の援軍が到着したようだ。」
Scullyがお腹をかばいながらも、人の波をかき分けて早足でこちらに近づいてくるのが見えた。
身の程知らずにも彼女の行く手を阻もうとする者には、バッジを突きつけて脇へ退かせている。
Skinnerは彼女の肩にそっと手を置くと、座っていた捜査官に、ヘッドフォンとマイクを渡して彼女と交代するよう無言で促した。
Scullyには、交信の要領がわかっていた。
Mulderには彼女の声が聞こえるし、彼女の耳にも彼の声は聞こえる。しかし、彼の方からこちらに直接話しかけることはできない。犯人に疎外感を与えて事態の悪化を招きかねないからだ。
「Mulder、私よ。」彼女は落ち着いた声で、マイクに向かって声をかけた。
Mulderは思わずふぅっと大きく息を吐き出した。
彼の息づかいが、そばにいるかのように彼女の耳にも伝わる。
「お前はさっきから、俺の気持ちがわかるなんてぬかしてるよな」男がピストルを構えたまま怒鳴った。
「わかるわけねえだろ！」
「さっきも言ったけど、」Mulderは静かな抑揚のない声で繰り返した。
「僕の妻は癌で死にかけたことがある。僕は、もうだめだ、二度と彼女には会えなくなる・・・と覚悟していた。奇跡的に彼女の癌は治ったけれど・・・そう、あれは奇跡だ。だから君にも奇跡が起きるなんて、もちろん言うつもりはない。だけど、こんなことで自分自身を傷つけるようなまねをしていいのか？こんな事をしたって、最後の日々を一生懸命生きている奥さんに、もう一つ苦しみを増やすだけだろう。」
一筋の涙が、音もなくScullyの頬を流れていった。
彼女にはわかっていた。
男に向かってしゃべり続けながら、Mulderは彼女に向かって話しかけている。
この危険な状況が、いつ最悪の事態を招くかは予想もつかず、しかもMulderは丸腰で、身を守ることすらできない。
これが永遠の別れになることだってありうるのだ。
* * *
事態はなかなか進展せず、張りつめたような時間だけが流れていたが、それでも少しずつ確実に好転しつつあった。
Mulderは男を説得して、もうひとりの看護婦を解放させた。
その後、医者も解放すると、Mulderだけが人質として残ることになった。
「さて・・・じゃあ、お前を撃ってから、俺が自分を撃ち抜いたらどうなるかな？」男が言い出した。
「ふたりとも死ぬな。」Mulderは感情を抑えた声で答えた。
「そして、君の奥さんも僕の妻も、ふたりとも未亡人だ。臆病者のご主人を持って気の毒だが・・・君の奥さんは、君が乗り越えられなかった苦しみに直面するわけだ。奥さんを失うことに君が耐えられなかったばっかりに、奥さんのほうが君を失って、その苦しみに耐えていかなきゃいけないんだな。」
「お前の奥さんは、どうなる？お前が死んだら？」
Scullyは、のどの奥で小さくひきつったような声をあげた。
Ｘファイルを離れてからは、もう二度とそんなことを考える必要などないのだと思いこんでいた。
「悲しむさ、もちろん」Mulderは静かに言った。
「だけど彼女が他の男を愛することは、生涯絶対にないってこともわかってる。彼女が僕を愛してくれたように、他の男を愛することはありえないって、僕は知ってるから。」
「そうよ」Scullyはマイクに向かって呟いた。
「でも、僕の妻は勇敢な女性だ」Mulderは続けて言った。
「彼女は頑張って、立ち止まらずに生きていくよ。そして僕達のこどものために、あたたかな愛に溢れた揺るぎない家庭を築いてくれる。心の準備もできずに、いきなりシングルマザーになるのは大変だと思うけど、きっと彼女はどんなことをしてでもやり遂げてくれるはずだ。」
「そうかよ、だが俺はそんなに強くない！」男はピストルを突きつけてがなり立てた。
「わからないぞ。そう思っているだけかもしれないじゃないか。」Mulderが宥めるように言ってやった。
「お前、今までに後悔ってものをしたことあるか？」突然思いついたように男が訊いてきた。親しげとまではいかないが、脅すような調子ではなく、むしろ探るような声だった。
「奥さんに、悪かったって思ってるようなことはないのか？」
「山ほどある。」Mulderが答える。
「は？」男が驚いて聞き返した。
「ないでしょう、Fox」Scullyが小さな声で言った。
「そんなものあるはずないわ。」
「一番の後悔と言えば、お互いの気持ちはずっとわかっていたことなのに、僕自身がなかなか認められなかったってことだろうな。」Mulderがゆっくりと話しはじめた。
「もう言ったかもしれないが、彼女と僕は、仕事の同僚でもあり親友でもあり・・・長いことかかってようやくお互いの気持ちを確かめられたんだ。僕がこんなに馬鹿で頑固じゃなかったら、もっと早くに結婚できたはずなのに。離ればなれに寂しい夜を過ごす必要なんてなかったんだ。自分の過去のことばかりにこだわって、子供時代に起きた事だの、両親との関係だの、昔の女だのって・・・彼女を遠ざける口実に過ぎなかったのにな。何年も無駄にしてしまった。」
「'彼女'だの'妻'だのって言ってるが、名前ぐらいあるんだろう？」男がたずねた。
「Dana」Mulderはその名前をそっと口にした。その声で優しく抱きしめるように、一音ずつ愛おしげに発音した。
「Danaというんだ。」
「へぇ、じゃふたりは結婚してからいつまでも幸せに暮らしましたってか？」男がきいた。
「万事絶好調で、もう後悔することもないんだろ。」
「まあ、そうだな。」Mulderが言った。
「でもやっぱり、何も後悔しないってわけにはいかないさ。誰にだって、できることなら時計の針を戻して、もう一度やり直したいと思うことくらいあるだろう？」
「なんだそりゃ？」男が喚いた。
「分かるように言えよ。」
「彼女は今朝、僕を求めてくれたんだ」ほとんど聞き取れないような声でささやくように、Mulderが言った。
「それなのに僕は、忙しいからって・・・仕事に行かなきゃ、なんて言ってしまった。今夜帰ってから時間はたっぷりあると思っていたのに・・・こんなことになって・・・わかるだろうけど、僕は今、ものすごく後悔してる。」
「おい、そんなに奥さんを愛しているなら、なんでこんなことをしてるんだ？どうして毎日危険にさらされるような仕事を続けてるんだ？もっと安全な仕事がいくらでもあるだろう。」
Mulderはため息をついた。
「そのことならもう考えたことがあるさ。だけど結局、僕にできることは限られてるし、他にやりたいことも思いつかなかったんだ。僕は大学を出てすぐに入局して、ずっといままで捜査一筋の人生だった。妻がこの仕事をやめろというなら、僕はすぐにだってやめられる。だけど彼女は、そんなこと口にしたこともないから。僕が一番好きなのは、彼女のそういうところだし・・・妻は、いつも僕をそのまま受け入れて、そばについていてくれる。僕の中に『理想の男』を求めたりしないし、もちろん『亭主改造』なんて考えたこともないと思うよ。僕が完璧な人間じゃないことを知ってて、それでも・・・この僕を愛していてくれるんだ・・・」
「そうよ、Fox、愛しているの」Scullyはマイクを握りしめて、彼に向かって囁いた。
* * *
そして、すべてが終わった。
男はピストルを捨て、身を投げ出すようにして泣き崩れた。
Mulderは男に手錠をかけ、ミランダルール - 黙秘権や弁護人依頼権 -
を読み上げてやった。
外の廊下には、すでに大勢の捜査官が取り囲んでいた。
Scullyは、足を踏みだそうともしなかった。
Mulderのいる部屋は、人が殺到し溢れている。この体で、人の波にもまれるような危険を冒すわけにはいかない。
彼女は、今すぐ走り出したい気持ちを抑えて椅子に座り、夫が彼女のもとへ戻ってくるのをじっと待っていた。
「Scully」
彼の声が二重に聞こえて、彼女は一瞬自分の耳がおかしくなったのかと思った。
だが、彼がすぐそばまで来て、呼びかけていることに気がついた。
ふたりともまだ無線をつけたままで、彼女は彼の声を、イヤホンとそして自分の耳でじかに聞いたのだった。
Scullyは近づいて、Mulderの背中に腕をまわして抱きしめた。
ふたりは、いつまでも、そのままただ抱き合ってお互いを労るように肩から背中にかけて、手のひらを滑らせていた。
Mulderは、彼女の顔を上に向けさせると、優しく口づけた。
そして、唇を離すと、額を彼女のおでこに預けたままじっとしていた。
「ふたりとも、大丈夫か？」Skinnerが、ふたりの肩に手を置きながら言った。
「ええ、大丈夫です。」Mulderが答えた。
「はやく行って、事件の処理を終えてしまわなければ。もう引き上げた方がいいでしょう。」
「Agent
Scully、君さえよければもう帰ってもらっても構わないよ」Skinnerが言った。
「我々は、これから本部の方に戻らなければならないが、どうするかね？」
「私は、後ほどそちらに伺うことにします。」そう言うと、もう一度Mulderの手をぎゅっと握りしめた。
* * *
夕闇のせまる頃になって、ようやくMulderとScullyは本部ビルを後にした。
今日はめずらしくScullyがハンドルを握った。
Mulderが精神的にも疲労困憊しているのはあきらかで、１時間近くしてからようやく、車が自宅の方に向かっていないことに気がついた。
「Scully、どこに行くんだ？」
「大変な一日だったんだもの。ちょっとのんびりリラックスでもしたほうがいいんじゃないかしら。Rhode
Islandの別荘に行こうと思って・・・さっき、本部に行く前に、家に寄って荷物もつめてきたわ。」
「Scully！僕達ってとうとう超能力で’以心伝心’とかいうやつができるようになったんだ！僕も、明日の朝、別荘に行こうって言おうと思ってたんだよ。」
「ゆっくり休んでてね、Mulder」
「うん、あと少しだけ・・・。そしたらどこかで食事をして、そこから僕が運転を代わるよ。君の体が心配だからね。君はちゃんと栄養をつけて、たくさん休まないと。」
* * *
途中、２４時間営業のスーパーで必要なものを買い込んで、ふたりが別荘についたのは真夜中になろうとするころだった。
「疲れただろ？」食料品をキッチンに置き、スーツケースを持ってベッドルームに向かいながらMulderが言った。
「ちっとも。」Scullyが首をふった。
「あなたが運転を代わってくれて２時間は眠れたから、すっかり回復したわ。」
「じゃあ、ビーチに出て散歩でもする？」
「いいわね。」
ふたりは手をつないで、波打ち際をのんびりと歩いていった。
言葉はほとんど交わさず、くり返し打ち寄せる波の懐かしい響きに身をまかせていると、すり減った神経が少しずつ癒されていくようだった。
このふたりには幾千ものちがいがあるけれど、通じ合う部分がたくさんあって、たとえば海辺を恋しく想う気持ちなどは共通のものだ。
Mulderにとっては、子供時代を過ごしたこの砂浜と汐の香りが、郷愁を誘う特別の場所だった。
そしてScullyは、海軍将校の娘として生まれ、ずっと海を身近に感じて育ってきた。海は、彼女にとって帰るべき家のような場所なのだ。
しばらく歩いたあと、ふたりは立ち止まり、Mulderが彼女の顔をのぞき込んで言った。
「どうして君にはわかるんだろうな？僕のことが・・・僕が欲しいものが全部わかってしまうんだろう？あの人質交渉の間じゅう、まるでそばについていてくれるみたいに話しかけてくれて、本当に心強かったし・・・それでちょっと休みが必要だって思ったら、今夜は、ここに連れてきてくれただろう？」
Scullyが笑顔になる。
「好きだから。それくらい簡単なことよ。愛してるわ、Fox。」
「僕も、君を愛してる、Dana。」
ふたりは唇を合わせた。
Mulderはつま先立ちになっている彼女の腰に手をやると、持ち上げるようにしてさらにキスを深めていった。
「ちょっと泳いでいこうか」呟くように彼が言った。
「水着を持ってきてないわ。」
「今夜は暖かいし、まわりには誰もいない。」
「え？Mulder捜査官ったら！もしかして、裸で泳いじゃおうってこと？」
「うーん・・・そう」
「いいわ！」
Scullyは、ゆったりしたサマードレスのボタンをはずし始め、足元に脱いだものを落とすと、他のものも取り去って歩き出した。
彼女は、波の間を進んで行って立ち止まり、夫が追いつくのを待った。
月の光が、彼女の髪に静かに映える。
水面は穏やかで、波しぶきも立っていない。なだらかに揺れているだけだ。
腰の高さくらいの深さのところまで歩いていき、手をつないだまま、ふたりで仰向けになって海に浮かんだ。
満天の星だけが、ふたりの上で瞬いている。
Scullyが身を起こし、足を底につけて立ちあがった。
頭をふって水気を払うと、Mulderが腕を伸ばして彼女の顔に触れ、そして微笑んだ。
「どうかしたの？」Scullyは、彼の目に浮かんだ表情を見て不思議そうにたずねた。
「君の信仰している神様のことも尊重するつもりだけど、でもDana、今の君は女神だ。波の間に立って、月の光に照らされて、君の美しい胸やおなかが輝いている・・・まるで君は、海から生まれた豊穣の女神みたいだ・・・」
Scullyはにっこりして言った。
「そう？うれしいわ、Fox。でもそろそろ行かなきゃ・・・私、ねむくなってきちゃったわ。帰る途中で倒れたら困るでしょう？」
Mulderが、着ていたＴシャツを渡すと、彼女はそれで身体を拭いた。
そのあと自分も使ってから、上半身裸のまま、濡れたＴシャツを肩に引っかけた。
彼女はワンピースを身につけると、残りはまるめてポケットにつっこんだ。
裏庭まで歩いてくると、Mulderが言った。
「このまま外のハンモックで寝ないか？」
「素敵ね」
Mulderは、彼女の体を後ろからかかえるように抱きとると、ワンピースの下から手を忍ばせて、その手に吸いついてくるような肌の感触を楽しんだ。
「どうする？何かしようか。それとも、もう眠い？」彼女の耳元にささやきかけた。
「眠いけど・・・あなたが欲しい。でもね、私もう、なんにもできそうにないわ。全部あなたにお任せしてもいい？・・・なんてね」
Mulderは、彼女の耳のうしろにふっと息を吹きかけながら、軽く笑った。
いつもなら、ふたりで愛し合うときの彼女は、驚くほど情熱的で、可愛い唇や美しい手を使ってメインイベントの前に、崖っぷちのぎりぎりのところまで彼を導いて狂わせる。
だが、今までにも何回か - 妊娠してからは特に -
たまに何もしないでただ彼に体を預けて、彼の愛撫やキスのされるがままになっていたいと言うことがあった。
Mulderとしても、もし自分の妻が常にそんな風に受け身だったら、こんな一方的なやり方を、たぶん物足りないと思ってしまっただろうけれど・・・
でも、いつもと全く違うScullyを自分だけが思うままに可愛がってやれる・・・めったにないこんな夜を楽しむのも悪くない。
この体勢 - ふたりとも横になって彼の胸に彼女の背中をあずけるような形 -
は、前から彼らのお気に入りでもあり、しかも今は、彼女のお腹を圧迫しないという意味でも正解だ。
彼は、彼女の体に腕を回して、乳房をやさしく撫でた。大切なこわれ物を扱うように丁寧に手のひらで包み込む。妊娠前のように、揉みしだいたり押しつけたりしないように・・・
そして、ゆっくりと彼女のお腹に手を滑らせていった。
彼の大きな手の下で、赤ちゃんが動いてお腹を蹴ったのを感じとると、その感触に煽られるように彼の中心がぴくんと疼いた。
Scullyが主治医の診察に行った帰りにもらってくる小冊子などで仕入れた情報によると、愛し合っている最中に赤ちゃんが動いたりすると、それだけで萎えてしまう男性もいるらしい。
＜これもきっと”Spooky”体質の証拠なんだ・・・＞彼は思った。
愛する女性の子宮の中で自分の子どもの命が育まれているという実感と確信が、彼の内側にも熱く火をつける。
Mulderは首筋に口づけながら、そっと手を伸ばして脚の間をまさぐった。
「君の味は、潮の香りと...それから女の香り・・・すごくおいしいんだ。それからここは・・・なんて言おう・・・すごく温かくて、すごく濡れてて・・・僕を待っているんだね。」
「そう・・・？」彼女が小さな声で答えた。その安心しきったような声には、誘われるような響きも混じっている。
彼は、腿に手をかけて少し持ち上げると、その下から自分の足を絡ませて、そして彼女の内側に入っていった。
そのとき、ハンモックが揺れて、Mulderはなんだか笑ってしまった。
彼は少しずつ馴染ませるように動き始め、前に回した手で彼女の花芯を探り当てると指の腹でそっと撫でてやる。
ゆっくりと彼女が昂ぶっていくのを感じながら愛を交わし、やがて彼を包み込んでいた彼女の温もりが、熱く彼を締め上げたかと思うと、彼女は満ち足りたように大きなため息をついた。
そして、そんな彼女の声を聞きながら、彼も彼女の中で満たされた。
ハンモックが静かに揺れて、波の音がまるで子守歌のように耳に心地よく響く。ふたりは、体をつなげたまま、眠りに落ちていった。
東の空が白み始めるころ、Scullyが起き出した。
このところ、夜の間に必ず一度は起きてしまう。
Mulderの腕の中から脱け出すと、彼を起こさないように気をつけて立ち上がろうとした。
だが、足を地面につけようとした瞬間、ハンモックが大きく揺らいで、思わず彼の広い肩をつかんでしまった。
「Scully？どうしたんだ？」彼が、ハッとして起きあがった。
彼女は、ため息混じりに小さく笑った。
「ちょっとバスルームに行くだけよ。最近明け方になると行くの、知ってるでしょ？」
「じゃあ、僕も一緒に中に入るよ。朝までベッドで休んだ方がいい。早起きして海岸を散歩しにくる人たちの見せ物になりたくないしな。」
「そうよね。」彼女も大きく頷いた。
それからふたりは、１，２時間眠った。
Mulderが目を覚ますと、部屋には朝日がさしこんでいた。
彼は、朝日に誘われるように起きあがると、ビーチまでいつものようにジョギングに行くことにした。
彼が汗を拭きながら帰ってきて、シャワーを浴びに行こうとすると、ベッドの中のScullyが目に入り、彼は思わず立ち止まってしまった。
明け方、部屋に戻ってきたときワンピースを脱いでいたので、彼女は今、裸のままベッドに横たわっている。
彼女の両脚は無防備に投げ出され、静かな寝息を立てていて、まだ夢の中にいるのだろうが、その顔は微かに笑っているように見える。
Mulderは、着ていたものを脱ぎ捨てると、彼女の脚の間に唇を落としていった。
Scullyは、目を閉じたまま朝の空気を感じていた。
膝の内側で、敏感な肌の上を何かが擦れたような気がした。
＜Mulderでしょう・・・＞
ぼんやりと目覚めかけた頭の奥では、本能的に分かっている。
だけど・・・なあに？
よくあるのは、目が覚めるとふたりの脚が絡まっていて、膝の間に彼の脚が入り込んでいるとか、たまには、彼が手のひらを這わせて優しく撫でていたりとか・・・なんだけど、これは違うみたい。
彼女は脚を少し動かしてみて、そして気がついた。
＜顔だったのね＞
彼女の内腿をそっとかすめながら、彼の温かな吐息を感じる。焦らすように誘いかけて、それでも彼女の中心に届かないのがもどかしい。
「ん・・・！」腿に手をやり、顎の伸びかけたひげに手を添わせると、彼女は小さな声をあげた。
「まだひげを剃ってないのね. . .」
「剃ってきたほうがいい？」
「ううん、いいの。すごくいいわ。」
Muldrは、丹念に舌を這わせては軽く吸い上げ、徐々に高みに押し上げていく。
ゆっくりと目覚め、冴えわたっていくような感覚で、彼女は頂点を迎えた。
そして彼は、彼女の体を上の方に辿っていき、おはようのキスを贈る。
「ねえ、中にきて。Fox」唇を離して、彼女が囁いた。
「このままで大丈夫なの？Dana」彼が、体を起こしたままで訊ねる。
「そっとしてね。そしたら大丈夫だと思うの。無理そうだったら言うから。」
Mulderは、彼女の体に負担をかけないように、肘と膝で体重を支え、暖かく濡れた中に先端を埋め込んだ。
彼は、ゆっくりと腰を動かした。押しては引き返すリズムが波のように彼を煽る。
そして、熱くなった固まりを押しつけるように浅い部分で突き上げると、のどの奥で彼女の名を呻きながら、そのまま果てた。
「ねえ...たった７時間で２回も、ですって。すごいわね！」
Mulderは時計を見やった。
時計の針は、昨日の朝ジョギングから帰ってきたときと丁度同じ時刻を、指していた。
